「1億円プレーヤー」になって買ったご褒美…巨人・松井秀喜に競り勝ち本塁打王、バラ色のオフだった
                         1996年はバラ色のオフが待っていた。39本塁打でタイトルを獲得。それまで年俸が安かった分、成績かお金かとなれば、やっぱり生活的なものが優先。「もっと稼ぎたい」という気持ちが強かった。
 前年の年俸は3000万円。そこから4倍増の1億2000万円にジャンプアップを果たした。プロ野球選手としてひとつの目標でありステータスでもあった「1億円プレーヤー」。その舞台に立てた喜びは大きかった。
 当然、下交渉は1、2度あった。初めは球団も少し安く設定してくる。そこを「いやいやいや」と言って色をつけてもらった記憶がある。
 ちなみに、報道された年俸8500万円。本当は月あたり1000万円で、源泉徴収を引かれて約800万円だった。97年1月25日の給料日、口座に800万円が振り込まれた時は「何に使おうかな」とうれしくなった。
 そこで、96年シーズンまで乗っていたベンツを買い替えることに。「プロで一人前になったらいつかは」という目標のひとつだったランボルギーニのカウンタックを買うことにした。
                    

 
                             
                                     
                                        

















 
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
         
         
         
         
         
         
         
         
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                