五木寛之 流されゆく日々
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連載11981回 60年前の文章から <1>
先日、月刊誌『家の光』のインターヴューを受けた。 その際、私が若いころ『家の光』誌に書いた文章と、さらに綜合誌『地上』に連載したルポルタージュの数篇をコピーして、持参してくださったのが嬉しかった…
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連載11980回 昭和残影あれこれ <5>
(昨日のつづき) 映画は昭和を回顧する上で絶対に欠かせない世界だろう。 残念ながら私は、いわゆる映画青年ではなかった。映画ファンの一歩手前ぐらいでウロウロしている普通の映画ファンにすぎなかった…
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連載11979回 昭和残影あれこれ <4>
(昨日のつづき) 京城で私が入学した小学校はミサカ小学校といった。三坂なのか、御坂なのか、はたまた美坂なのか、いまははっきり思い出せない。 父が勤務した南大門小学校は、当時の名門校のひとつだっ…
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連載11978回 昭和残影あれこれ <3>
(昨日のつづき) 母が不安がっていたのは、1919年にはじまった三・一独立運動のことである。過去の事件であっても、母親の記憶のなかには、人づてに噂話のように聞いた出来事のことが消えない不安としてき…
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連載11977回 昭和残影あれこれ <2>
(昨日のつづき) <昭和>は2つある。敗戦前の前期昭和と、敗戦後の後期昭和だ。 戦前、戦中と、戦後というふうに3つに分けてもいいだろう。国家主義の時代と、民主主義の時代という分け方もできる。 …
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連載11976回 昭和残影あれこれ <1>
プロとして長く活躍している人は凄いと思う。一時のブームを作ることはできても、それを何十年と続けることは至難の技だからだ。 美輪明宏さんがテレビにでていらっしゃるのを見て、はじめてこの人の歌をきい…
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連載11975回 死を考えた小学生の頃 <5>
(昨日のつづき) 90歳をこえた時期から、死というものをあまり意識しなくなってきた。 これは不思議なことである。死がまもなく訪れてくるのに、死をあまり気にしないで生きている、というのはどういう…
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連載11974回 死を考えた小学生の頃 <4>
(昨日のつづき) <死は前よりしもきたらず> と言ったのは兼好法師だ。 <かねてより後ろに迫れり> ポンと背後から肩を叩かれて、ふり返ると、そこには死が微笑しながら立っている、と彼は言う。…
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連載11973回 死を考えた小学生の頃 <3>
(昨日のつづき) 私はもともと酒は呑まない人間である。戦後、不遇のなかで父親が酒に溺れた姿を見たことがトラウマになっているのかもしれない。 それでも若い頃は、無理やりに呑ませられるときがあった…
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連載11972回 死を考えた小学生の頃 <2>
(昨日のつづき) 教育というものは、おそろしいものである。国のために命をささげることが、当然のように感じられていたのだ。 わが身ひとつの命ではない。 ラジオから流れるニュースは、次第に『海…
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連載11971回 死を考えた小学生の頃 <1>
ふつうの人が死について考えはじめるのは何歳ぐらいの頃からだろうか。 人によってその機会は様々だろうが、とりあえず普通の人の場合は、定年退職をして、しばらくたった頃ではないかと思う。 もちろん…
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連載11970回 昭和20年代の頃のこと <4>
(昨日のつづき) 昭和20年代に流行った歌謡曲といえば、『啼くな小鳩よ』とか、『湯の町エレジー』などがすぐ浮かんでくる。 両方とも一世を風靡したヒット曲だが、いまは全くといっていいほど耳にする…
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連載11969回 昭和20年代の頃のこと <3>
(昨日のつづき) 高校新聞というものが注目されたのも昭和20年代後半のことだろう。 私は地元の新制高校へ進学し、すぐに新聞部の創立に取り組んだ。 当時、西日本の高校新聞のスタッフを集めて、…
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連載11968回 昭和20年代の頃のこと <2>
(昨日のつづき) 当時、マスコミでもてはやされたフラナガン神父のことを、同世代の人たちにたずねてみた。 「フラナガン神父って、いたよね」 「知らんなあ。だれだい、それは」 「野球をやる少年に…
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連載11967回 昭和20年代の頃のこと <1>
戦争が終ったのは昭和20年の夏である。 正式に戦争が終ったのはいろいろあって、はっきりしない。 8月15日を過ぎても、まだ戦闘状態が続いているところや、すでに休戦状態にあったところもあった。…
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連載11966回 「対談」はどこまで続く──栗山英樹さんとの対談集──
(昨日のつづき) 自分の著書について書いたり喋ったりするには、相当の度胸が必要だ。 どれほど面の皮の厚い書き手でも、自著について宣伝めいた言葉を発するのは気が引けて当然だろう。 最初の本を…
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連載11965回 「対談」はどこまで続く <4>
(昨日のつづき) きょうは午後、NHK出版部のKさんと打ち合わせ。 新しくできあがった対談集、『「対話」の力』を持参してくれたのだ。 できあがったばかりの新刊を手にするのは、この歳になって…
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連載11964回 「対談」はどこまで続く <3>
(昨日のつづき) 1966年に新人賞を受けて作家デビューをはたす以前から、対談はずいぶんやってきている。 当時のラジオ関東で私がかかわっていた<ダンシング・パトロール>という番組では、毎回、S…
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連載11963回 「対談」はどこまで続く <2>
(昨日のつづき) 対談の基本的なルールの一つは、約束の時間におくれないことだ。 これまで半世紀以上にわたる対談のなかで、時間におくれて相手を待たせたことは、ほとんどないように思う。 いや、…
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連載11962回 「対談」はどこまで続く <1>
明日の午後は田原総一朗さんと対談の予定がはいっている。文春の仕事だ。 田原さんとは、若い頃に奇妙なご縁があって、なんとなく「仲間」という感じがつよい。いま産経新聞の朝刊に連載中の語りおろし的自伝…