五木寛之 流されゆく日々
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連載12003回 長い旅の途上で <4>
(昨日のつづき) <日刊ゲンダイ>は、来年で創刊50年の節目をむかえるらしい。 この変転きわまりない時代に、半世紀というのは、かつての1世紀にも匹敵するのではないかと思う。 むかし、私たちの…
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連載12002回 長い旅の途上で <3>
(昨日のつづき) いま夜の11時。まだ日刊ゲンダイの原稿ができていない。 締切りまで、あと1時間足らず。 汚ない字を原稿用紙に走らせる。 きょうのゲンダイ紙上の<流されゆく日々>の通し…
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連載12000回 長い旅の途上で <1>
きょうは日曜日。私は<地獄の日曜日>と呼んでいる。 週刊誌と日刊ゲンダイ紙の締め切りが重なっている上に、なにか必ず月曜日渡しの原稿がほかにもあるからだ。 それぞれ夜中の12時がタイムリミット…
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連載11999回 新しい本のPR <5> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
(昨日のつづき) 食べものは食ってみよ、人とは会ってみよ、である。 マスコミで創られた有名人のイメージは、大半がフェイクである。そのほうが仕事の上でプラスにはたらくからだ。 私が長年、長嶋…
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連載11997回 新しい本のPR <3> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
(昨日のつづき) ナガシマさん、とカタカナ書きのほうが似合いそうな長嶋茂雄さんは、一般には、すこぶるわかりやすい人、というイメージがあるようだ。 「ピューッときたボールを、ガーンと打ち返せばいい…
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連載11996回 新しい本のPR <2> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
(昨日のつづき) 対談集などというものは、出してもそう売れるものではない。 出すほうの版元でさえもそう思っているのだ。だからあまり積極的に宣伝もしないし、作者のほうでも最初からそれは覚悟してい…
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連載11995回 新しい本のPR <1> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
新しい本が出た。対談集である。私ひとりの本というわけではない。 いうなれば集団製作だ。だから自分の名前ででた本だが、それほど気がねせずにおおっぴらに大宣伝をする。 これは絶対、おもしろい本だ…
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連載11994回 高齢化社会の明日 <5>
(昨日のつづき) 自分がれっきとした高齢者でいながら、どうも高齢者といわれると実感がない。 はっきり老人とか、年寄りとかいわれたほうがピンとくるのは、昭和世代の後遺症だろうか。 問題は老人…
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連載11993回 高齢化社会の明日 <4>
(昨日のつづき) 前回の原稿に文字の間違いがありました。 「10円で乗れるバスがある」と書いたのは、昭和人の感覚で、実際は100円です。訂正してお詫びします。 さて、本題の高齢化社会の明日の…
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連載11992回 高齢化社会の明日 <3>
(昨日のつづき) この国が杖をついた高齢者ばかりになってしまうことを、深刻に憂える人がいる。 右を見ても左を見ても老人ばかりという風景は、たしかに索漠たるものだろう。 少数の若い人たちにと…
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連載11991回 高齢化社会の明日 <2>
(昨日のつづき) 長生き、というのは、それはそれで一つの価値かもしれない。その人の知識や経験が、何かの役に立つことがあるとも考えられるからだ。 かつての村の長老たちは、さまざまなかたちで集団に…
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連載11990回 高齢化社会の明日 <1>
一昨日、新聞の取材を受けた。要するにインターヴューなのだが、テーマを向うで決めての取材である。 私は、いわゆる小説家なので、あまり難しいことを聞かれても話が噛みあわない。そもそも常識のある人間な…
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連載11989回 昭和の記憶その断片 <4>
(昨日のつづき) 殴る、という言葉を、最近はほとんど聞かなくなった。 昭和の前期、戦中の時代は、<殴る><殴られる>が日常のことだった。 いまにして思えば、ずいぶん野蛮な時代だったと思う。…
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連載11988回 昭和の記憶その断片 <3>
(昨日のつづき) 敗戦の年、父親の勤務先である平壌師範学校は市の中心部を離れた大同江の対岸にあった。赤煉瓦建ての立派な校舎だった。 私たち一家の住む公舎は、その校庭に隣接した農場の一角にあり、…
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連載11987回 昭和の記憶その断片 <2>
(昨日のつづき) <小学校>という名称が<国民学校>と変るころ、毎朝、校庭では朝礼というものが行われた。 校長や教頭先生の指揮で、全員まず<東方遥拝>からセレモニーが始まる。 東方とはもちろ…
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連載11986回 昭和の記憶その断片 <1>
まとまった昭和を語ることは、私にはできない。 そもそもが時代や歴史を俯瞰的に視る習慣がないからだ。高所から時代を一望することなど、私の体質には合わない。あえていうなら<鳥の目>ではなく、日常生活…
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連載11985回 60年前の文章から <5>
(前回のつづき) 「ヤポーンスコエ・クラビシェ」 と運転手がポツリとつぶやいた。 よく手入れがゆきとどいて、紙くず一つ落ちていない清潔さだ。白い砂を敷きつめた道路が、歩くたびに“サクサク”と…
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連載11984回 60年前の文章から <4>
(昨日のつづき) わたしたちは、ソ連側のインツーリスト(公営旅行社)にたいして、ハバロフスクの日本人墓地訪問の希望を申し出たが、スケジュールにはいっていないからだめだと断わられた。 「なんとかな…
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連載11983回 60年前の文章から <3>
(昨日のつづき) 信藤さんは終戦当時、満州の開原にいた部隊の将校だったという。部隊ごとソ連軍に連行されて、シベリア行きの列車に乗せられた一人である。生まれたばかりの娘さんと、奥さんを残して、信藤さ…
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連載11982回 60年前の文章から <2>
(昨日のつづき) 1965年の8月号の『家の光』に、特別寄稿として<詩人のぶ・ひろし>の文章がのっている。<戦後20年>の特集号だ。 詩人、とはこっ恥ずかしい肩書きだが、当時は作詞者と詩人の区…