五木寛之 流されゆく日々
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連載11024回 ベートーベンも泣いている <3>
(昨日のつづき) 先日、『正常性バイアス』という聞き慣れない言葉のことを書いた。 その舌の根も乾かないうちに、いや、これは譬えがちがうか。耳の垢も乾かないうちに、またまた新しい言葉が登場してき…
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連載11023回 ベートーベンも泣いている <2>
(昨日のつづき) きょうの新聞朝刊の記事。 毎日新聞と社会調査研究センターが共同で先日おこなった全国世論調査では、菅内閣支持率は若い世代ほど高く、高齢者層ほど少い。 日本学術会議の任命拒否…
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連載11022回 ベートーベンも泣いている <1>
ちかごろ毎日のように見慣れぬ横文字の新語が新聞・雑誌に登場してくる。 最近よく目にするのが<正常性バイアス>という言葉だ。 <バイアス>のほうは、なんとなくわかる。 モノを片寄った場所から…
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連載11021回 日刊ゲンダイ創刊のころ <10>
(昨日のつづき) 当時の『流されゆく日々』の文章を、ここで一つピックアップしてみることにしよう。 1976年8月26日号に掲載されたものである。 <『話の特集』の編集長が、アリと会いませんか…
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連載11020回 日刊ゲンダイ創刊のころ <9>
(昨日のつづき) 1975年、創刊当時の『日刊ゲンダイ』の<流されゆく日々>には、どんな原稿を書いていたのか。 ほとんど忘れてしまっている。有難いことにタイトルの総目録が残っているので、それを…
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連載11019回 日刊ゲンダイ創刊のころ <8>
(昨日のつづき) 文章が前後して申訳ないが、とりあえず1975年(昭和50年)、日刊ゲンダイ創刊の頃の話の続きとご了解いただきたい。 当時から現在まで、この欄を担当してくれているのがI君である…
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連載11018回 日刊ゲンダイ創刊のころ <7>
(昨日のつづき) 『日刊ゲンダイ』誌、創刊の頃の話にもどる。 当時の原稿のタイトルを拾って羅列してみよう。 <『阿佐田哲也杯』が巷に続出すること>(’75年10月30日・NO3) <金沢芸者…
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連載11017回 日刊ゲンダイ創刊のころ <6>
(前回のつづき) きょうは疲れた。そのことを書く。 東京発の“つばさ”137号で山形へ行ったのだ。午後2時すぎに米沢到着。 迎えのワゴン車で川西町へ。 「千二百メートル級の山に囲まれた盆…
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連載11016回 日刊ゲンダイ創刊のころ <5>
(昨日のつづき) なにしろ45年前の事だから、記憶が曖昧なのは仕方がない。昔のことをあまりくわしく憶えていると、新しい知識がはいってこないのである。 人づてに聞いたところでは『夕刊フジ』の創刊…
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連載11015回 日刊ゲンダイ創刊のころ <4>
(昨日のつづき) 川鍋さんの話を書けば、それだけで一冊の本になるだろう。古い表現でいえば「都会的な快男子」だった。どちらかといえば痩せ型で細身のタイプだが、男気のある文学青年でもあった。 酔う…
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連載11014回 日刊ゲンダイ創刊のころ <3>
(昨日のつづき) 川鍋さんからのいきなりの申し入れで、とにかく表紙写真の件はOKした。 「しかし、週刊誌の表紙を男性にして、はたしてうまくいくものかね。いくらミスターでも、スポーツ紙とはちがうん…
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連載11013回 日刊ゲンダイ創刊のころ <2>
(昨日のつづき) 砂漠の熱風のような当時のジャーナリズムの嵐のなかで、『夕刊フジ』が颯爽と登場したのがその頃である。 当時のテレビや新聞に、<オレンジ色の憎いやつ!>というコピーが氾濫したこと…
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連載11012回 日刊ゲンダイ創刊のころ <1>
『日刊ゲンダイ』が創刊45周年を迎えるという。よくも今日まで続いたものだ。 などと他人事みたいな言い方をしているが、考えてみると、この『流されゆく日々』の連載も46年目にはいるということではないか…
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連載11011回 秋ふかき隣りは何を <4>
(昨日のつづき) 近くの書店まで出かけようと外へ出て、マスクをし忘れていることに気づいた。マスクなしではタクシーにも乗れないので、あわてて取りにもどった。 マスクをしていない客を、乗車拒否する…
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連載11010回 秋ふかき隣りは何を <3>
(前回のつづき) ところで、どこの国にも「国民詩人」とされる人びとが数多くいる。ロシアではプーシキン、レールモントフ、エセーニンなどの詩人たちだ。 ある人がこんなことを言っていた。 「わが国…
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連載11009回 秋ふかき隣りは何を <2>
(前回のつづき) 今回のノーベル賞は、米国の女性詩人にあたえられた。 今さら「詩の復権」を云々するまでもない。世界中どの国でも、詩人が文芸の主役なのだ。「識字率は高いが、識詩率は低い日本」とい…
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連載11008回 秋ふかし隣りは何を <1>
コロナ猖獗の残り火がまだくすぶり続けている中、今年もついに11月となった。 欧米では第3波の襲来が予断をゆるさない状況らしい。フランス全土で再び外出制限とは、新型コロナの粘り腰、おそるべし。 …
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連載11007回 後半50年の希望と絶望 <10>
(昨日のつづき) 最近、芸能人や有名人の自殺が話題になるとともに、なんとなく自殺が増加したような印象がある。 しかし、実際には昨年、10年連続で、自殺者の数は減少しているという。(10・28毎…
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連載11006回 後半50年の希望と絶望 <9>
(昨日のつづき) 新型コロナウイルスの猖獗以来、世界は変ったか。それともザワついているのは表面だけで、その本質は変らぬままなのか。 ポストコロナという言葉が、あたりに満ちあふれている。しかし、…
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連載11005回 後半50年の希望と絶望 <8>
(昨日のつづき) <後半50年>というのは、人の一生に関してだけのことではない。 国家にも、企業にも、登山の時期もあれば下山の時期もあるのだ。 それは大きな生命体のリズムのようなもので、人為…