児島美ゆき ハレンチ学園とその時代
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膝枕でポツリ 高倉健さんが私の前だけで見せた素顔
2014年11月10日、高倉健さんが亡くなった。 涙が止まらなかったが、それは私が30代のころ、健さんと一時期、半同棲をしていたからではない。 交際を週刊誌に嗅ぎつけられて、健さんか…
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「北の国から」のこごみ役は倉本さんの突然の電話から
あのころのテレビ局の熱気といえば、やはり、倉本聰さんの「北の国から」の話をしたくなる。ドラマ放映は1981年10月から。つまり、ハレンチ学園から約10年後。 私はこごみという名のホステスの役…
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「あのころお世話になりました」と言う言葉は嫌いだった
ハレンチ学園に出演させていただいたことは誇りである。この連載で書いてきたように、あのドラマは時代や社会に挑戦し、自由を謳歌する番組だったと思うからだ。 でも、正直に言うと、そういうことが理解…
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大辻さん自殺の衝撃 ヒゲゴジラには狂気が乗り移っていた
1973年5月21日、大辻伺郎さんが亡くなった。38歳の若さだった。ハレンチ学園でヒゲゴジラを演じた怪優である。 ハレンチ学園は70年から始まり、約半年間続いた。以後、忙しくなった私はすっか…
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変人たちが大集合し殺人事件騒動まで起きた70年代の熱気
1970年代のテレビがいかに熱かったかをもう少し、語りたい。 私は「ハレンチ学園」のあと、土居まさるさんが司会する日テレの「TVジョッキー」にMC役で出ていた。忘れもしないのが面接のときのデ…
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<7>表現の自由とは…手塚治虫さんも漫画への偏見と戦った
絶対的な存在だった教師の権威をぶち壊す。そういう挑戦的なマンガ、ドラマを認めようとしないPTA。「ハレンチ学園」が沸き起こした社会現象は、原作者の永井豪さんの闘争心にも火をつけたのかもしれない。 …
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<6>超売れっ子の教育評論家が毎回番組に出てくれたワケ
前々回に「ハレンチ学園」の凄さは、当時、超売れっ子だったカバゴン先生こと、教育評論家の阿部進さんが毎回、番組の最後に登場したことだと書いた。 一体、なぜ、阿部進さんは出てくれたのだろう。そも…
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<5>「ドーハの悲劇」まで破られず 最高視聴率の立役者たち
「ハレンチ学園」には画一的で押しつけ型の教育を徹底的にパロディー化する一方で、「子供たちの自由を何よりも尊重すべし」という哲学が貫かれていたように思う。 それを端的に表していたのが、冒頭に必ず…
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<4>俳優と著名教育評論家が賛同して作り上げた時代への挑戦
今、振り返ってみても、「ハレンチ学園」の出演者はすごかったなと思う。 前回、山本直純さんらが音楽を担当されていたことを紹介した。「大日本母親連合」の会長として、学園に乗り込む役は丹下キヨ子さ…
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<3>批判はギャグでやり返す 硬直化した常識をパロディー化
その世代の人にとっては伝説の番組、「ハレンチ学園」だが、もう忘れてしまった人、見ていない人もいるだろうから、ちょっと、振り返ってみる。なぜ、私がそんな古いドラマの中身まで覚えているかというと、70年…
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<2>映画よりTVの方がエッチ…スタッフもスカートめくり
「隙ありっ!」 「イヤン!」 これは「ハレンチ学園」のワンシーンではない。当時の撮影所の日常風景なのである。カメラマンも照明さんもすぐに私やクラスメート役の女の子のスカートをめくってくる…
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<1>私に生パンをはかせた全共闘出身のスタッフたち
子役の頃から劇団に入っていた私は、この世界に入って、もう半世紀くらい経つ。 実をいうと、「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングで「ちゃぷちゃぷすいすい」という子供の声をやっていたのが私だ。…