石田純一 70歳のダンディズム
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ある朝起きたら、世の中がガラリと変わっていた
1989年、フジテレビで「同・級・生」が始まった。柴門ふみ原作の人気漫画のドラマ版だ。主演は安田成美。緒形直人、山口智子らに交じって、僕も出た。 いろいろな意味で思い出深い仕事となった。最初…
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松原千明ちゃんとの結婚と死
松原千明ちゃんとは1988年に結婚した。ちょうど、「抱きしめたい!」のオンエアが終わるころだ。もう撮影は終わっていたので、一緒にフィレンツェに行き、式を挙げた。 派手な結婚式はしなかった。僕…
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今も現役バリバリで活躍するフジテレビの演出家・河毛俊作さんの魅力
「抱きしめたい!」の演出を担当したフジテレビの河毛俊作さんは今年の9月で72歳になる。僕より2つ上だが、バリバリの現役だ。フジテレビのドラマ制作センターのエグゼクティブディレクターで、つい最近も宮藤官…
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物議をかもしたフジテレビ「抱きしめたい!」での即興“”クーパーポーズ、でも…
フジテレビ系のドラマ「抱きしめたい!」の第1回、浅野温子さんが演じる池内麻子が気に入っている僕は食事に誘った帰り道、麻子をきざなクーパーポーズで見送った。人さし指と中指を揃えて、眉毛に触れて、敬礼の…
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浅野温子があまりに可愛くて…フジ「抱きしめたい!」では台本にない「クーパーポーズ」を
1988年、フジテレビ系のドラマ「抱きしめたい!」の撮影が始まった。キャストは浅野ゆう子、浅野温子のダブル浅野。岩城滉一、本木雅弘らスターがズラリ。演出は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった山田良明、河毛…
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フジテレビのトレンディードラマ「抱きしめたい!」出演までの壮絶な裏話
1988年の春、一世を風靡した「君の瞳をタイホする!」。浅野ゆう子が人気を博したフジテレビ系のトレンディードラマだ。勢いにのるフジテレビは、同じく浅野ゆう子を起用したトレンディーものを夏に作ることに…
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事務所にはきっぱり「2時間ドラマではなく、フジのドラマを狙いたい」と明言した
所属事務所の本間社長に「あと1年頑張ってダメだったら、役者をやめる」と啖呵を切ったのが1987年の9月。しかし、仕事が来なければどうにもならない。ドラマの仕事はぽつぽつ来たが、2時間ドラマなので評判…
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窓辺に腰掛け、月を見ながら「俺は情けねえな」と呟いた
ぽつぽつと仕事は増えているのに、モヤモヤする。何か迷いがあって集中できない。1980年代の後半はそんな悩みを抱えていた。確か、87年だったと思うが、田原俊彦さんの「ドラマ特番」に呼ばれた。その時、ち…
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演出家の藤田道郎さんに「もう二度とNHKには顔を見せるな」と怒鳴られた
1980年4月から始まったNHKの朝ドラ「なっちゃんの写真館」は星野知子さんが主演。カメラマンの立木義浩さんのお母さんがモデルだ。時代は太平洋戦争のころ。舞台は徳島。当時としては珍しかった女性のプロ…
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木下恵介監督に起用され、長いセリフを一発OK
「演劇集団 円」が分裂し、「スカイコーポレーション」にお世話になることにした僕は来る日も来る日もオーディションを受け続けた。藤田敏八、根岸吉太郎ら大御所と顔見知りとなった。日本テレビのドラマ「俺たちは…
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芸能事務所の社長には「三浦友和のNGみたいな子はいらないのよ」と言われた
「演劇集団 円」では研究所所長だった渥美国泰さんと劇団本体が揉めていた。渥美さんは独立し、アクト青山ドラマティックスクールを立ち上げる。研究生はこぞってそちらに移ったが、僕は最後に思うところがあってと…
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橋爪功さんに「メチャクチャだな」と褒められ自信に
俳優でやっていけるのか。迷いはなかったのか。自信はあったのか。この連載の担当者からよく聞かれた。いくら就職がないとはいっても、早大商学部だ。普通に仕事を探せばいい。そうした“安定”を捨てて、米国に行…
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水商売のバイトをすると「匂い」が付くと思って皿洗いに
話をもう一度、「円」に戻そう。日本に戻っても、就職口がなく、「演劇集団 円」の研究生になったのだが、これは就職ではない。研究生はお金をもらえるどころか、「授業料を払う」のである。もちろん、正式な劇団…
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最初の結婚は一発必中のできちゃった婚
ここで話はちょっと相前後するが、最初の結婚のことを書こうと思う。実は早大商学部時代、できちゃったのである。それも一発必中だった。それで生まれたのが最初の息子、いしだ壱成である。 「できた」と言…
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同じ高校、野球の縁で橋爪功さんから「合格だ!」
「演劇集団 円」を紹介されて、入団試験を受けに行ったが、もう募集は終わっていた。米国から帰国したのが秋で、募集は2、3月にあるのだが、季節はすでに春になっていた。 劇団を訪ねたものの、門前払い…
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スッカラカンになって帰国のはずが…ラスベガスのカジノで勝った
親を説き伏せて、ようやく降り立ったロサンゼルス。僕が通った演劇学校は、パサディナプレーハウスという有名な劇場に一時、キャンパスがあったと聞いた。グレース・ケリー、ダスティン・ホフマン、ロバート・レッ…
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「映画をやりたい」「だったら本場で」とアメリカに留学
池袋駅の東口を出て、線路沿いに歩いていくと、猥雑な風景が広がる。今でこそ、きれいになったが、僕が大学生だった1970年代の前半は雑居ビルに怪しい店がひしめいていた。2、3分歩くと文芸坐がある。個性的…
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高校時代は恋愛は苦手…愚図でふられた
こうして学生時代の思い出を書いているうちに、担当者から「石田さん、女性の話がなかなか出てきませんね」と言われた。ませたガキだったんじゃないか。ナンパに明け暮れていたのではないか。そんなふうに見えるの…
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300人に1人の難関校にいけたのは偶然の運
この連載の冒頭で、都立青山高校の同窓生の活躍ぶりを書いた。70歳になれば、「あれっ、誰だっけな?」とわからない同級生の方が多い。でも、みんな意気軒高。集まれば、刺激を受ける。学年の半分くらいが東大に…
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“伝説の殺陣師”高瀬将敏さんに生前「石田はケンカが強い」と褒められた
その瞬間、太ももに激痛が走った。黒い制服がどんどん、濡れていく。かなりの出血なのがわかった。ナイフを突き刺されたのである。 それはケンカの名門、私立K舘との殴り合いだった。よく覚えていないが…