萩本欽一〈56〉告白します 仮死状態で生まれた三男「征九郎」の名前に込めた思いと妻の「奇麗な涙」
チャリティ番組は「この子のためだったのかな」
増田「その三男に、征九郎という名前をつけた」
萩本「そう。『苦労を征服する』っていうね」
増田「苦労を征する、征九郎」
萩本「最初は生きられないって言われたから、名前なんかいらないと思ったの。でも『名前はつけておいたほうがいい』って言われて、それで征九郎。苦労を征服する」
増田「その後は元気に育ったんですね」
萩本「うん。何でもなかった。でね、最後に母親が亡くなるちょっと前になると、子供たちはみんな自分の家を持って出ていったんだけど、あの子だけは毎日のように顔を出すの。母親のことを『オカン』って呼んでね。『オカン、俺、家買ったけどさ、こっちに住んでもいいよ』って、いつも言ってくれるんだって。母親は『そんなことしなくていい』って言うんだけど」
増田「一番心配されて生まれてきた子が」
萩本「そう。一番最後にはね、スミちゃんが『あいつ優しいよ』って、いつも俺に言ってた」
増田「いい話ですね」
萩本「俺ね、チャリティー番組をやってるときに思ったことがあるの。この番組を俺がやることになったのは、この子のためだったのかなって」
増田「ご自身にそういう経験があったから」
萩本「そう。だからチャリティーの仕事も、もう勘弁してよって思うこともあったけど、この子のことを考えるとね、正々堂々とできる。誰に何と言われてもね」
増田「日本中に同じような事情を抱えたご家庭がたくさんありますからね」
萩本「うん。いろいろ大変な家族もいるだろうと思って。自分の子供がそうだったっていう瞬間があるからね」
増田「だから長く続けることができた」
萩本「そうだね。あのとき視聴率30%とこの子の命を交換してくれって空に言ったでしょう。番組は本当にだんだんなくなっていった。でもこの子は助かった」
(つづく=火・木曜公開)
▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。
▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。



















