「昭和二十年生まれ」の群像
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吉永小百合(1)80歳を迎えても原爆詩を朗読する「ひまわり」
昭和20年生まれのトップランナーは、やはり、吉永だろう。吉永はいまも走り続けている。 吉永を花にたとえるとすれば、ひまわりなのではないか。そのあまりの向日性の故に、私は斜視的な吉永批判を書い…
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田中泯(3)「芸能者」として、そもそも映画出演には反対だった
私は田中という存在を映画『たそがれ清兵衛』の不気味な剣客として知った。 「まさか僕がセリフをしゃべって映像に出るなんて考えてもいなかったですから。その前に踊りを映像にして見せることにも、僕は反…
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田中泯(2)アウトサイダーとしての「オドリ」
当時は盆踊りが盛んで、田中の住んでいた八王子でも流行っていた。田中は好きで、それを自己流にして踊った。盆踊りがあるのを知ると、必ず行くような子だったのである。それに盆踊りの場ではいじめられない。その…
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田中泯(1)初めて出会ったのは永六輔のお別れの会だった
80歳になっても枯れずに存在感を漂わせている田中と初めて会ったのは2016年8月30日だった。永六輔のお別れ会の席である。 田中は林英哲の太鼓に合わせて踊っていた。踊りのことはわからないが、…