「昭和二十年生まれ」の群像
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照屋寛徳(2)米国議会で英語で演説した安倍首相を「屈従」と喝破
私の本はもちろん、さまざまな所での発言にも照屋は耳を傾けてくれて、それを国会での質問に生かしてくれた。 中でも、わが意を得たのは2015年7月10日に衆議院議長宛てに出した「安倍首相の米国連…
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照屋寛徳(1)ウチナーンチュの強かさを持つ、ユーモアを愛した男
私の選挙行脚はいつも沖縄から始まった。同い年の社民党の代議士、照屋を応援するためである。 サイパン島の米軍捕虜収容所で生まれた照屋は筆舌に尽くし難い苦労をしたはずだが、明るかった。 …
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櫻井よしこ(4)櫻井よしこの“消したい過去”
なごやか対談の後も私は櫻井批判をやめてはいない。たとえば2019年に『創』の「タレント文化人筆刀両断!」という連載で次のように斬った。 〈最新刊の『問答無用』(新潮社)で櫻井よしこは「世界は激…
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櫻井よしこ(3)櫻井が玄関に飾るという良寛の歌
櫻井とは『俳句界』の2010年6月号でなごやかに対談をしたことがある。 「今日は、佐高さんの生い立ちとふるさとの話を聞けるかしらと思って来ました」 と口火を切った彼女に、 「いや…
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櫻井よしこ(2)ベトナムの野戦病院で生まれた櫻井
『権力の道化』で櫻井は、私のことをこう書いている。 「佐高氏は『噂の真相』でこれ以上ない程の、と私自身が感じた、罵詈雑言で私を批判した人物である。私は氏の批判を快く思いはしなかったが、人間には情…
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櫻井よしこ(1)櫻井よしこも見抜いた猪瀬直樹の幼児性
2012年暮に私は『自分を売る男、猪瀬直樹』(七つ森書館)を緊急出版した。東京都知事選挙に立候補した猪瀬を当選させてはならないと思ってである。 その本の宣伝のための対談を櫻井に頼んだら承諾し…
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吉永小百合(4)”白紙の人”
夢千代を演じた吉永小百合は、その原爆が落とされた年の生まれである。廃墟と化した広島を通り、見渡す限り死そのものの世界の中で、生の象徴である赤ん坊の泣き声を聞いた早坂は、その赤ん坊が小百合であるという…
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吉永小百合(3)原爆が落とされた年に生まれて
私は読売新聞社の依頼で1997年に「戦後ニッポンを読む」というシリーズを編んだ。 円地文子の『食卓のない家』や山田太一の『藍より青く』、城山三郎の『黄金峡』や松下竜一の『狼煙を見よ』など、埋…
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吉永小百合(2)「偽悪」より「偽善」を続けることの大変さ
それより6年ほど前に『噂の真相』に連載していた「タレント文化人筆刀両断!」で吉永をバッサリやった。同誌の1999年1月号でだが、「永遠に独りよがりで人生を終わるらしい」と勝手な決めつけをしている。5…
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吉永小百合(1)80歳を迎えても原爆詩を朗読する「ひまわり」
昭和20年生まれのトップランナーは、やはり、吉永だろう。吉永はいまも走り続けている。 吉永を花にたとえるとすれば、ひまわりなのではないか。そのあまりの向日性の故に、私は斜視的な吉永批判を書い…
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田中泯(3)「芸能者」として、そもそも映画出演には反対だった
私は田中という存在を映画『たそがれ清兵衛』の不気味な剣客として知った。 「まさか僕がセリフをしゃべって映像に出るなんて考えてもいなかったですから。その前に踊りを映像にして見せることにも、僕は反…
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田中泯(2)アウトサイダーとしての「オドリ」
当時は盆踊りが盛んで、田中の住んでいた八王子でも流行っていた。田中は好きで、それを自己流にして踊った。盆踊りがあるのを知ると、必ず行くような子だったのである。それに盆踊りの場ではいじめられない。その…
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田中泯(1)初めて出会ったのは永六輔のお別れの会だった
80歳になっても枯れずに存在感を漂わせている田中と初めて会ったのは2016年8月30日だった。永六輔のお別れ会の席である。 田中は林英哲の太鼓に合わせて踊っていた。踊りのことはわからないが、…
