歌手・山内惠介さん「カラオケ大会会場での母の叫び声で、僕は歌手になれた」
山内惠介さん(歌手/43歳)
17歳でデビューし、紅白には連続10回出場、今年で26年になる歌手の山内惠介さん。これまでを振り返ると忘れられない出来事が次から次に……。
◇ ◇ ◇
やっぱり恩師である作曲家の水森英夫先生との出会いが僕にとっての最大の転機ですね。先生との出会いがなければ、僕は演歌歌手になっていません。そこからすべてが始まりました。
水森先生と出会ったのは1999年、高校1年の時です。福岡県のカラオケ大会に叔父が応募してくれて出場しました。本来、審査員は中山大三郎先生だったのですが、直前に病気で欠席され、代わりに水森先生が来られた。水森先生からは「君の声、変わってるね」と言われました。その時「同じ福岡県で来年デビューする子がいるんだよ」と言われました。それがまだデビュー前の氷川きよしさんでした。
その時にリップサービスだと思いますが、先生が「東京に持って帰りたいな」とおっしゃってくださった。会場の4、5列目には母が座っていたのですが、それを聞いた瞬間に「持って帰って!」と叫んだんです(笑)。先生はいまだに「あの時のお母さんの声があったから、おまえは歌手になれたんだよ。それを忘れちゃいけない」とおっしゃいます。
母にあの時のことを聞くと「私も必死だったのよ。どうやったら歌手になれるのか、考えてもその道がないんだもの。これを逃したら、きっともうないかもしれないと思った」と今も言います。
大会で優勝し、母と2人で水森先生の楽屋を訪ねました。その場で「何曲かテープに吹き込んで送って」と言われました。実は大胆にも10代でデビューしたいと思っていたんです。憧れの美空ひばりさんが9歳でデビューされていますから。そのことを先生に言うと「氷川君だって22歳でデビューするんだから焦ることはない」と。
そしてご自宅の連絡先が書かれた名刺をいただき、宝物のように持って帰ったことは今も忘れられません。
翌年、氷川さんがデビューし、男性演歌歌手というジャンルに風穴を開けてくれました。そんな流れもあって、レコード会社も若い男性歌手を探していて、水森先生とビクターの朝倉隆ディレクターが福岡まで来てくださり、僕はデビューに向けて上京することになりました。
ビクターでアルバイトをしながら、水森先生からは歌だけでなく、言葉遣いや人生訓も教わりました。でも、当時は生意気でね(笑)。業界で一番若いんだから発言には気をつけなさいとよく注意されましたが、先生からは「おまえは生意気だけど、その性格が通るくらい頑張ればいいんだよ」と言われたのも覚えています。


















