あの山本浩二さんが「指導者になったら必ず生きる」と噛み締めた苦い経験
現役時代、大学出身者日本記録の通算536本塁打。4度の本塁打王、3度の打点王のタイトルはいずれも30歳以降という大器晩成型である。
1学年上の浩二さんと再会したのは、私が日本ハムからトレードでカープに移った77年から。この頃から打つことは認めてくれていた。
浩二さんの遅咲きの理由は、腰痛を抱えていたため、負担が少ない逆方向への打撃を覚え、広角打法を取り入れたからだと本人は話している。
監督時代、苦しんでいた新井貴浩に「オレも27歳からブレークした。おまえはまだ26歳。もう一回頑張ってみろ。今が踏ん張りどころや」とゲキを飛ばしていたのを思い出す。新井も遅咲きだった。
83年、古葉竹識監督の時に私は二軍打撃コーチ補佐として指導者のキャリアをスタートさせた。翌年から一軍打撃コーチ。浩二さんは選手として晩年を迎えていた。
84年のある日、古葉監督から「浩二を3試合くらい休ませる」と言われた。私はそれを本人に伝えた。
「分かった」


















