あの山本浩二さんが「指導者になったら必ず生きる」と噛み締めた苦い経験
内田順三氏による「巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第36回=2020年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。当事者だからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係──。
今回はあの山本浩二氏について綴られた、内田順三氏による「巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第36回=2020年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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出会いは1968年。大学選手権の決勝で私が3年だった駒大が法大と対戦した。
あの頃の法大は強かった。山本浩二(73)、田淵幸一、富田勝(享年68)の「法政三羽ガラス」にボコボコに打たれて3-12。3人は後に広島、阪神、南海からそれぞれ1位指名を受けた。エースは3年生の山中正竹(現・全日本野球協会会長)。スター軍団に駒大は手も足も出なかった。
浩二さんはカープが初優勝した75年、オールスターで衣笠祥雄さんと2人で2打席連続アベック本塁打を放ってブレークした。そのシーズンは打率.319で首位打者となり、30本塁打、84打点、24盗塁でカープのリーグ初優勝に貢献。MVPも取った。この年から「ミスター赤ヘル」と呼ばれるようになる。浩二さんは29歳だった。


















