伊良部秀輝はヤンキース移籍直前から「様子がおかしかった」…十数年後、突然の訃報にショックを受けました
元ロッテ西村徳文氏による「野球人生七転八起」(第33回=2021年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。当事者だからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係──。
今回は故・伊良部秀輝さんついて綴られた元ロッテ西村徳文氏による「野球人生七転八起」(第33回=2021年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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ロッテや阪神、メジャーで活躍し、日米通算106勝を挙げた伊良部秀輝は1987年、尽誠学園高からドラフト1位で入団。193センチと背が高く、プロ入り当初はまだひょろっとした体形だったが、とても将来性を感じた。
1年目から一軍で登板し、2年目には156キロをマークした。ストレートが速い上に、フォークのキレも素晴らしかった。後ろで守っていて、とても守りやすい投手だったし、つくづく同じチームで良かったと思った。
徐々に体つきもよくなり、94年に15勝を挙げて最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得。リーグを代表する投手になった。
打席で伊良部の球を見たことはなかったけれど、守備位置から伊良部の投球を見ていると、投球術というか、相手打者への対応の仕方が年々、うまくなっていったように思う。フォームなどの研究に熱心で、チームの先輩である牛島和彦を慕って、いろんなアドバイスをもらっていたとも聞いた。村田兆治さんら凄い投手を見てきたが、伊良部はその中でもトップクラスだと思う。
伊良部が若手の頃、複数のチームメートと一緒に、何度か食事をしたことがあった。とても素直で、笑顔を絶やさなかった。愛嬌があって、個人的にも好きな後輩の一人だった。
しかし、97年にヤンキースへ移籍する直前あたりから、伊良部の様子がおかしいなと感じ始めた。
「どういうことなんですか!」
伊良部が先発した試合だった。試合中にロッカールームへ着替えに行ったとき、その入り口付近で降板した直後の伊良部がコーチと口論していた。どうやら、起用法について納得がいかなかったようだった。
それまで、私はそんなシーンを見たことがなかった。気持ちが優しい半面、繊細なところがあっただけに、何かトラブルを抱えているのではないかと心配したほどだ。すると、同年オフには球団とスッタモンダした末に、ヤンキースへと移籍した。
伊良部はかねて、少しでも早いうちにメジャーへ挑戦したかったと聞いた。移籍前には伊良部と球団との契約について耳にしたこともあった。球団は前もって前年オフに、米国移籍を認めると伝えていたようだったが……。
私がロッテ監督時代の2011年、突然の訃報にショックを受けた。報道陣向けには、「気持ちの優しい選手だった。あれだけの投手がいながら(当時は)チーム状態が良くなかった。一緒に優勝したかったですね」とコメントした。
私はその前年(10年)に日本一を達成し、伊良部はヤンキース時代、阪神時代に優勝を経験していた。10年近くチームメートとして戦ってきただけに、ロッテのユニホームで一緒に祝杯を挙げたかった。


















