バレンタイン監督vs広岡達朗GM ファンを巻き込んだ壮絶内紛の舞台裏と私の主観
ミスターマリーンズ初芝清氏による「笑いと涙の初芝劇場」(第22回=2024年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。当事者だからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係──。
今回はあの広岡達朗氏と元ロッテ監督のボビー・バレンタイン氏について綴られた、ミスターマリーンズ初芝清氏による「笑いと涙の初芝劇場」(第22回=2024年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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1995年、ロッテで“内紛”が勃発した。
ボビー・バレンタイン監督1年目。4月を8勝14敗1分けの最下位発進となるや、一部のコーチが広岡達朗GMに「監督は、具体的な指示を出さないで自分で考えろと選手任せ。これではチームが弱体化する」と不満をぶつけたという。問題視した広岡GMも「このままでは暑い6月以降、夏場を乗り切れない」と試合に負けた翌日、ある行動に出た。
ボビーが予定通りに休日にすると、広岡GMが「試合に負けたのに休んでいる場合じゃない。練習するぞ」と全体練習を指示したのだ。
ボビーには「日本の夏は暑い。休養を十分に取らないと選手はバテてしまう。結果としてパフォーマンスを落とすことになる」という意図があったのだが、現場介入した広岡GMが懲罰的に練習をさせたことに「勝手なことをしないでくれ」と激怒。両者の溝は深まるばかりだった。
米国人のボビーは「野球は楽しむもの」が口グセ。しかし、広岡GMにとって「野球は厳しくてつらいもの。それに耐え抜く力があるからこそ、君たちプロは多額の報酬やファンの称賛を得ることができる」が持論だった。両者の価値観は真っ向から対立。広岡GMがグラウンドで選手に指導することに怒ったボビーが、抗議の意味を込め、練習をボイコットすることもあった。
2人とも対立を隠さなかったため、マスコミの格好の餌食となった。ロッテファンはボビーを支持。バレンタイン監督解任の噂が新聞などで取り沙汰されると、「広岡辞めろ」などの横断幕を掲げるようになった。ロッテは前年の5位から2位でシーズンを終了。万年Bクラスだったこれまでと比べ、明らかにチームは変わった。2位に入ったことでボビーは続投すると思った。ファンもそうだったはずだが、広岡GMは「監督の采配ミスで15勝は逃した。優勝を狙えたのに残念」とコメントし、ボビーの手腕が足りなかったことを強調。
複数のコーチが広岡GMに「選手が不振に陥っても、バレンタイン監督は疲労が原因と言って休ませるばかり。コーチの仕事がない。この体制が続くなら辞めたい」と直訴したそうだ。最終的に重光武雄オーナーが裁定を下し、ボビーはわずか1年で解任となった。
チーム内はなんとなく監督派とGM派に分かれたが、私はボビーのもとで打点王が取れたし、広岡GMには野球を教わった。「2人には感謝している」としか言いようがなく、この争いには興味がなかったというのが正直なところだ。
結局、広岡GMも翌年辞任することになり、日本初のGM制は2年で終了となった。ロッテは万年Bクラスのチームに逆戻り。再びAクラスに入るのは、チームから強い要請を受けたボビーが監督に復帰した翌年、私が引退する2005年の日本一まで待つことになる。


















