野球
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メジャー中継の視聴者はジジババばかり…日本野球の未来はお先真っ暗か?
ほぼ毎日朝からエンゼルス中心にメジャーリーグ中継をやっているNHK・BS1では、「大谷選手へのメッセージをツイッターで募集しています」と視聴者に呼びかけている。 その書き込みが、「毎朝正座して大谷くんの活躍を応援しています」...
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仰木監督の言葉の深さ パ優勝が消えたとき「勝てないまでも負けなかった」意味
「最後の力を振り絞ったわけですけど……残念ながら、こういう結果になってしまいまして……精いっぱい、戦ったし、悔いはありません。この集団と一緒にやれた幸せをいま、しみじみと感じております」 ダブルヘッダーの2試合目を引き分け、優...
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士別監督に伝説の助っ人ブライアント氏 近鉄時代の北海道遠征「コーラ一気飲み事件」とは
「久しぶりに来日できてうれしい。ベストを尽くします」 24日、近鉄で3度の本塁打王を獲得したラルフ・ブライアント氏(61)が、北海道フロンティアリーグ・士別の監督就任会見を行った。 ブライアント氏は現役時代、本塁打か三...
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権藤博さんから交代を告げられ、ベンチ裏の控室に入るなり床にへたり込んで動けなかった
ダブルヘッダー第2試合の八回から登板、高沢秀昭さんに同点本塁打を打たれた私は九回もマウンドに上がった。 無死一、二塁のピンチを二塁手・大石大二郎さんのファインプレーでしのいだが、大石さんが二塁走者を押したという有藤監督の抗議...
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九回裏無死一、二塁のピンチ…終わらない有藤監督の抗議で近鉄は時間とも戦っていた
ダブルヘッダー2試合目は同点のまま九回に入った。 九回表、近鉄は2死から大石大二郎さんが左翼線へ二塁打を放ったものの、この回無得点。私は九回裏もマウンドに上がった。 この回先頭の古川慎一さんに右前打され無死一塁。次打...
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常に淡々としている大石大二郎さんがいち早くハッパをかけてくれた裏側
「試合はまだ、終わってないぞ」 ロッテとのダブルヘッダー第2試合。私は1点リードで迎えた八回からリリーフでマウンドに登ったものの、1死後、高沢秀昭さんに本塁打を打たれて同点に追い付かれてしまう。その直後、場内の悲鳴やどよめきが...
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Vまであと2イニングで同点弾…直球のサインにクビ振りスクリューボールを投げた理由
えっ! まさか……。 その瞬間、私は思わず、打球の行方を追って左翼方向を見上げた──。 1988年10月19日のダブルヘッダー。1試合目に競り勝って迎えた2試合目。八回にブライアントの本塁打で1点を勝ち越し、その裏、...
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4年連続20本塁打! 40歳で急逝した名外野手・鈴木貴久さんの思い出
ロッテとのダブルヘッダー第1試合で本塁打を含む3安打を放ち、決勝のホームを踏んだ鈴木貴久さんの自宅に行ったときのこと。 玄関のドアを開けて仰天した。廊下におびただしい数のバットとゴルフクラブが立てかけてあったからだ。 ...
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捕手・山下和彦さんの信念「厳しい内角攻めでオレが打席でぶつけられても構わん」
プロ1年目、1987年のオフのことだ。 私は捕手の山下和彦さんに誘われて食事に出掛けた。晩飯をごちそうになり、その後、飲みに連れて行ってもらった。 翌日は休み。遅くなったため、そのまま山下さんの自宅に泊めてもらうこと...
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岩隈久志さんがボーイズチーム創設 なぜ少年野球を?指導方針と野球界への思いを明かす
近鉄、楽天、マリナーズ、巨人でプレーし、2020年に現役を引退した岩隈久志氏(マリナーズ特任コーチ)が今年3月、中学生を対象としたボーイズチーム「青山東京ボーイズ」を創設。この5月から本格的に始動した。現在メンバーは二十数人。西武、...
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打者の内角を厳しく攻める捕手の山下和彦さんが心配になった
2連勝がリーグ優勝の条件だったロッテとのダブルヘッダー。1試合目を競り勝って迎えた2試合目も、もつれにもつれた。 同点の八回、「エディ」ことラルフ・ブライアントの本塁打で1点を勝ち越し、あと2回、ロッテの攻撃を封じれば近鉄の...
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近鉄時代のブライアントは三振が嫌でセーフティーバントを試みた
外国人選手が持っていたバットを自分の太ももにたたき付け、バキッと真っ二つにするシーンを目にする。 自分の打撃に納得がいかず、怒りをバットにぶつけているのだ。打ち損じたバットは折れかかっているからこそ真っ二つになるわけで、フツ...
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74試合で驚異の34本塁打!“最強助っ人ブライアント”にも泣きどころが
第1試合に続いて、ダブルヘッダー第2試合も終盤にきて、もつれにもつれた。七回に2本の本塁打で勝ち越したものの、その裏、同点に追い付かれてしまう。 近鉄はしかし、八回にラルフ・ブライアントが右翼にソロ本塁打を放って、またしても...
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88年シーズン近鉄「仰木マジック」の種明かし 驚異の粘り腰を引き出した采配と選手起用
2連勝がリーグ優勝の絶対条件だった1988年10月19日のロッテとのダブルヘッダー。 いまとなっては驚異とも思える近鉄の粘り腰を引き出した要因のひとつは「仰木マジック」と呼ばれた監督の采配や選手起用にあったように思う。 ...
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メジャーの本塁打王オグリビーがはしゃぎながら浴槽で泳ぎ出した理由
ダブルヘッダー2試合目の六回、同点に追い付く適時打を放ったベン・オグリビーは、メジャーで本塁打王を獲得したバリバリの大リーガーだ。パナマ出身で母国では「英雄」と呼ばれていたという。 「10.19」の前年の1987年から2年間、...
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10.19Wヘッダー2試合目の先発・高柳出己はビールを引っ掛けて勝利投手になったことも
ダブルヘッダー2試合目の先発はルーキーの高柳出己だった。 ナイターの先発だから、1試合目の五回くらいのタイミングで球場入りしてきた。 彼とは私が投球練習をするためにブルペンに向かう途中の通路ですれ違った。 ま...
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10.19第1試合に勝ち切りイケイケムードだったが…「阪急の身売り」報道が水を差した
リーグ優勝の条件は2連勝。川崎球場で行われたロッテとのダブルヘッダー第1試合は、近鉄が土壇場の九回に1点を勝ち越し。その裏を守り切ればマジック「1」という局面で、私にバトンが回ってきた。 九回裏無死一塁、次打者に2ボール。こ...
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「伝説の10.19DH」第1試合 両軍ベンチが序盤からヒートアップした裏側
「何言うとる! 危ないやないか!」 ベンチを飛び出し、二塁ベース付近まで駆け寄った仰木監督は、ロッテの首脳陣に向かって鬼の形相でこう叫んだ。 1988年10月19日のダブルヘッダー第1試合、1点リードで迎えた九回裏の守...
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1点もやれない九回裏無死一塁2ボールでマウンドに…うそー? 本当にここで投げるのか?
「10.19」の前年、1987年8月、吉井理人が藤井寺球場の南海戦でプロ初勝利を挙げた試合後のことだ。 箕島高(和歌山)から83年のドラフト2位で近鉄に入団。プロ4年目の初勝利だっただけに感慨もひとしおだったに違いない。私は当...
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伝説の10.19第1試合九回裏…守護神・吉井理人が判定に激高、球審に食ってかかろうと
2連勝がリーグ優勝の絶対条件だった1988年10月19日のダブルヘッダー。第1試合は同点で迎えた九回2死から、梨田昌孝さんのタイムリーで九死に一生を得た。 ■「急いで準備してくれ」 ブルペンにいた私が思わず「やったー!...
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ベテラン捕手の梨田昌孝さんの教え「誘いを断れる人と付き合っていけよ」
プロ1年目のシーズン後半だ。バッテリーを組んでいた梨田昌孝さんのサインにクビを振ったことがある。 「なぜ、クビを振ったんだ?」 ベンチに戻ると梨田さんに聞かれたが、確固たる理由があったわけではない。自分は別のボールを投...
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10.19ダブルヘッダー第1試合 絶体絶命のピンチで打席に入った梨田昌孝さんとの思い出
ロッテとのダブルヘッダー第1試合は八回、代打・村上隆行の2点適時打で3-3の同点に追い付いた。 とはいえ、この年のパ・リーグの規定でダブルヘッダーの1試合目に延長はない。我々、近鉄に残されたイニングはあと「1」。このまま同点...
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八回1死一、二塁のチャンスで村上隆行が値千金の2点二塁打を放った背景
ダブルヘッダーの1試合目は九回まで、2試合目は試合が4時間を超過した時点で新たなイニングに入らない。1988年当時のパ・リーグの規定が、連勝が優勝の絶対条件だった近鉄にとって、最後まで重くのしかかっていく。 第1試合はロッテ...
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自主トレをセッティングしてくれたのは仰木新監督 そこにはある「意思」があったのかも
1試合でも引き分ければ、その時点で西武のリーグ4連覇が決まる。近鉄が優勝するためには2連勝しかない。1988年10月19日。川崎球場で行われたダブルヘッダー第1試合は午後3時にスタート、序盤から激しく動いた。 近鉄は初回、先...
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プロ2年目で開幕投手に 仰木彬監督と権藤博投手コーチから告げられた言葉の重み
「今年の開幕はアンタに任せるから」 1988年、近鉄が最後まで西武と優勝を争った年の開幕前、あれはオープン戦の最中だったと思う。 藤井寺球場での練習終了後、ひと息入れようとベンチ裏の選手サロンに向かう途中で仰木彬監督に...
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「伝説の10.19」2日前に完投負けで崖っぷち…重いムードを吹き飛ばした缶ビールと球団歌
オレンジ色の西日が近鉄の三塁側ベンチに差し込んでいる。スタンドは超満員。球場に入れないファンが右中間後方のビルの屋上や階段に鈴なりになって、グラウンドを見つめている。父親や友人も試合を見に来ていたらしいが、いつもならスタンドを見渡せ...
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ドラ1蹴ってプリンスホテル入り 「野球部1期生」だからこその超VIP待遇だった
兵庫・滝川の3年だった私は同学年の作新学院・江川卓(元巨人)と慶大の入試に挑んだ。しかし、結果は不合格。江川は法大へ、私は1浪後に専大へ進んだ。 専大にスポーツ推薦で入学する新1年生は2月に入寮する。一般入試組の私は3月に入...
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変貌する高校野球の新実態 「センバツV大阪桐蔭の選手集めに関東の強豪校は『勘弁して』」
スポーツライターの大利実氏(44)がこのほど「育成年代の『技術と心』を育む 中学野球部の教科書」(カンゼン)を上梓した。 部活動のガイドラインの導入により、以前と比べて活動時間が短くなっている中学の野球部。長時間練習や厳しい...
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選手に手を上げクビ覚悟の台湾球団で急きょ監督に…翌年も留任のはずがチーム消滅
台湾の三商タイガースで総合コーチを務めていた1999年6月。私はサインを無視する選手に手を上げてしまい、それを球団代表に目撃された。 「中尾さん、1週間前に選手を殴りましたね?」 「はい。すみません……」 一応、...
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台湾プロ野球からキャンプ臨時コーチのオファー 終了後も「このまま残って」と
西武の二軍バッテリーコーチを退任した1998年、来年はどうしようかと思い、中日時代の投手コーチで、当時の横浜・権藤博監督に連絡をすると、「来年のコーチはもう決まっちゃったよ」との答え。すると、しばらく経ってから権藤さんの知り合いだと...