五木寛之 流されゆく日々
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連載10252回 老人大国日本の未来 <1>
「敬老の日」の関連ニュースを各新聞が大きくあつかっている。 <90歳以上の人口200万人超え> というのが各紙の主な見出しだ。100歳以上の長寿者も6万数千人に達した。世界最高齢者が日本人になっ…
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連載10251回 健康記事に怯えて <5>
(昨日のつづき) きょうも新聞に健康関連記事の大見出しが躍っている。週刊誌も、テレビ番組も、なにやら恐ろしげな病気について論じている。 ある意味で、私たちは健康ノイローゼにおちいっているのでは…
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連載10250回 健康記事に怯えて <4>
(昨日のつづき) 健康論や養生に関して、趣味として取り組むのはいい。私は健康にまつわる主題を、一種の道楽として考えている。鉄道ファンもいれば、フィギュアの蒐集家もいるようなものだ。 しかし、あ…
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連載10249回 健康記事に怯えて <3>
(昨日のつづき) 一般的には、横になって寝る横臥位をすすめる専門家が多い。 私は睡眠時無呼吸症候群の傾向があるらしく、夜中にときどき寝息がとまったりする。いびきをかく人に多く見られる症状らしい…
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連載10248回 健康記事に怯えて <2>
(昨日のつづき) その心療内科の医師の手記は、自分のこれまでの経験と、新しい治療情報の紹介が過不足なくまとめられていて、とてもいい記事だったと思う。 しかし、読後なんとなく違和感が残ったのは、…
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連載10247回 健康記事に怯えて <1>
このところ、というか、この数十年来、健康問題関連記事の花ざかりである。新聞、週刊誌をはじめ、テレビ番組でもそうだ。カラスの鳴かぬ日はあっても、マスコミに健康問題が取りあげられぬ日はないのではないか。…
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連載10246回 デラシネとしての宗教 <5>
(昨日のつづき) インドの神々が日本列島に渡来してこられたのは、柴又の帝釈天のみではない。無数の寺の仏像が故郷をはなれて流離、出離された仏さまである。 そういえば、かつて<ディスカバー・ジャパ…
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連載10245回 デラシネとしての宗教 <4>
(昨日のつづき) 『男はつらいよ』の寅さんの故郷は葛飾柴又である。 <私 生まれも育ちも 葛飾柴又です 帝釈天で産湯をつかい 姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します> …
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連載10244回 デラシネとしての宗教 <3>
(昨日のつづき) 21世紀の現在、もっとも信徒を増やしつつあるのはイスラム教である。7世紀ごろにアラビア半島に生まれたイスラム教は、聖地メッカ(マッカ)でわずか200人ほどの共同体からスタートした…
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連載10243回 デラシネとしての宗教 <2>
(昨日のつづき) デラシネなどという言葉と、いちばん遠いところに在るような気がするのが、たとえば宗教である。 「南無阿弥陀仏」 というような言葉は、すでに私たち日本人の血肉と化しているような…
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連載10242回 デラシネとしての宗教 <1>
〈移植された植物のほうがつよい〉という林達夫の言葉は、私にとって一つの啓示だった。 最初からその地に生まれ育ったものより、故地を離れて流離したもののほうがつよい。ここでつよいというのは、強国とか強…
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連載10241回 眠れない夜のために <5>
(昨日のつづき) 眠れない夜のために悩んでいるかたがたに、こんなユニークな意見をご紹介しよう。 高齢者が眠りが浅いのは当然だ。それと同時に、眠り過ぎというのも不眠の大きな原因になる、という説で…
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連載10240回 眠れない夜のために <4>
(昨日のつづき) 高齢者の安眠を阻害している原因の一つが、いわゆる頻尿である。 夜中に何度も目が覚める。そのたびにトイレに立つ。すぐにまた眠りにつければ、大した問題ではないが、これがなかなかす…
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連載10239回 眠れない夜のために <3>
(昨日のつづき) 「イツキさんは、一日にコーヒーを何杯ぐらい飲むんですか」 と、若い編集者にきかれた。 「さあ、どうだろうなあ。2、3杯、いや、時には4杯ぐらい飲む日もあるかもしれない。平均し…
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連載10238回 眠れない夜のために <2>
(昨日のつづき) 世の中にはいろんなタイプの人がいる。こと眠りに関しても千差万別だ。 横になったら10秒で大イビキという友人がいた。 「眠れないって、どういうこと?」 と、本気で不思議そ…
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連載10237回 眠れない夜のために <1>
このところ睡眠のリズムが大幅に狂ってしまって、どうにもならない。 昨年くらいまでは、ほぼ一定のリズムでやってきたのだ。一定のリズムといっても、私の場合は世間の常識からすると、とんでもない生活であ…
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連載10236回 「健康という病」について <10>
(昨日のつづき) 「健康という病」が、いまこの国を覆っている。 病んでいる人びとが健康を求める気持ちは切実だ。そのことを言っているのではない。「健康になりたい」のではなく、「健康でありたい」風潮…
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連載10235回 「健康という病」について <9>
(昨日のつづき) 「歩行」。歩くというテーマに関しては、私はこの数十年ずっと関心をもってきた。さまざまな歩行法をためしたり、近代日本人の歩行の歴史的変遷を調べたりして、いっぱしの歩き方の専門家のよう…
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連載10234回 「健康という病」について <8>
(昨日のつづき) 「整体とか、鍼灸とか、そんなものをためしてみてはいかがですか」 と、親切な編集者がすすめてくれた。 「しかし、ねえ。ああいう民間療法というのは、いまはどこも大繁昌だからなあ。…
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連載10233回 「健康という病」について <7>
(昨日のつづき) さて、「変形性股関節症」という病名は確定した。なんとなく安心するところがあった。 しかし、とりあえず脚の痛みのほうは、どうすればいいのか。以前は起つとき、坐るとき、歩く際に軽…