五木寛之 流されゆく日々

1932年福岡県生まれ。早稲田大学露文科中退。66年「さらばモスクワ愚連隊」で第6回小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で第56回直木賞。76年「青春の門 筑豊篇」ほかで第10回吉川英治文学賞を受賞。2002年には第50回菊池寛賞を受賞。NHKラジオ深夜便「歌の旅人」、BSフジ「五木寛之『風のcafe』」放送中。日刊ゲンダイ本紙連載「流されゆく日々」はギネス記録を更新中で、16年9月5日に連載10000回を迎えた。著書に「風の王国」「大河の一滴」「他力」ほか、「親鸞」三部作など多数。

連載10446回 裏も表も一枚の葉 <5>

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(昨日のつづき)
 ここで私が言っているのは、世の中には表と裏があるのだ、とかいった幼稚な話ではない。また、人生にも表裏がある、などという単純な説明でもない。歴史にも裏と表がある、ということでもない。
 私たちの物を見る感覚が、どちらか片方に偏ってくることの不可避性について言っているのだ。私たちは性善説か性悪説か、どちらかを選んで世界を見ようとする。また権威のある説を信じようとし、怪しげな言説を偏見で眺める。
 第2次世界大戦についてもそうだ。敗戦といい終戦というが、その結末さえ曖昧なままだ。教科書は常に表街道の解説である。風評は怪しげなメディアで拡散するが、おおむね人々はそのニュースを信じてはいない。興味本位であれこれ話の材料にしているだけだ。
 人物評伝のたぐいは、おおむね主観をとおした事実の積み重ねと言っていい。ひとつひとつの事実は正しくても、その関係性がほとんど掴まれてはいない。
 私は馬齢を重ねて、多くの同世代人の死を見送ってきた。彼らが去ったあと、さまざまな評説が生まれる。それぞれに興味ぶかい読みものではあっても、直接こちらが接していた人物とは似ても似つかない人間像が描かれていることが多い。
 レジェンドとは、そういうものなのだ。親鸞がきびしく迷信を排したことはよく知られている。徹底して論理の人だったからである。
 しかし、彼が滞在した北陸には、数多くの伝説が残っている。「親鸞の七不思議」などという物語は越後地方では有名だ。
 彼が地面に竹の杖を突いたら、そこから葉が下を向いた竹が生えたとか、池の大蛇が暴れるのを念仏で止めたとか、内容はさまざまだが、それぞれ強い伝承としてその地に根づいている。
 英雄偉人の物語にしてもそうだ。そのフィクションに、人物のイメージが浮かびあがってくるなら、それもいいだろう。私は科学的資料よりも、むしろ寝物語に語られるようなエピソードのほうが真実に近いと感じることがある。しかし、過去のことはわからない、と割り切ったほうがよさそうだ。人の内面もわからない。表と裏、さらにそれが複雑にからみあった真実を、私たちはどうしてとらえることができるだろうか。
 人の内面は知りがたし、昨日の出来事も解明不可能、というのが私のやけくその結論だ。評論も楽しんで読めばいい。魅力のある解説もしかり。最近つくづくそう思うようになった。
 (この項おわり)
 ――協力・文芸企画

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