五木寛之 流されゆく日々
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連載10427回 今いちばん怖いもの <1>
世の中に怖いものは沢山ある。 子供の頃は幽霊が怖かった。昔の日本屋敷は、便所が廊下の先にあるのが普通だった。 居間や寝所からは、いったん廊下に出て、そこを伝って手洗いに行かなければならない。…
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連載10426回 何歳まで運転は可能か <5>
(昨日のつづき) さて、はたして何歳まで車の運転は可能か。前にも述べたように、これにはいくつもの問題がある。 車を運転する地域のちがいも考えなければならない。大都市の錯綜する交通事情での運転と…
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連載10425回 何歳まで運転は可能か <4>
(昨日のつづき) 一部の超富裕者層と、貧しい大衆。 世界はその方向へむかって進んでいる。この流れが変ることは当分ないだろう。 残念だが現実はそうなのだ。蟻のような大衆と、羽ばたく蝶の群れ。…
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連載10424回 何歳まで運転は可能か <3>
(昨日のつづき) これは何度もくり返し書いてきた事だが、動態視力の劣えをしばしば感じることがあった。 新幹線に乗っていて、通過駅の駅名標示が以前ははっきりと見えていたのだ。それがスッと流れてし…
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連載10423回 何歳まで運転は可能か <2>
(昨日のつづき) 格差という問題がしばしば語られる。 それは経済的格差が中心だ。要するに一部の超富裕層と多くの下流階級の存在がテーマである。 しかし、この格差という問題は、すこぶる難しい現…
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連載10422回 何歳まで運転は可能か <1>
先日、90歳の婦人が交通事故をおこし、5名の死傷者をだした。新聞、テレビとも、かなりのスペースと時間を割いて報じていたから、ご存知の方も多いだろう。 破損した車の映像は衝撃的だった。車対車の事故…
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連載10421回 東京五輪の夢の後に <5>
(昨日のつづき) 『君たちはどう生きるか』の後にくるものは、何だろうか。 それは「君たち」と呼びかけた少年たちからの返答である。 「おじさんたちはどう死ぬのか」というのが、その率直な問いではな…
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連載10419回 東京五輪の夢の後に <3>
(昨日のつづき) かつて戦時中の私たち日本人は、「神州不滅」という物語を信じていた。 嘘のようだが、最後には神風が吹くだろうと思っていた。そう信じていればこそ、世界の大国相手に戦争をするなどと…
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連載10419回 東京五輪の夢の後に <3>
(昨日のつづき) ブッダは死後の世界については語らなかった。 霊とか、あの世については、口を閉ざして答えようとしなかったという。 そのブッダの対応は、「無記」という表現で伝えられている。 …
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連載10418回 東京の夢の後に <2>
(昨日のつづき) 『人は死ねばゴミになる』という言葉が、話題になったことがあった。 元検事の伊藤栄樹さんというかたのガン闘病記として、感動的な著書だが、そのタイトルがひどく刺戟的だったので、それ…
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連載10417回 東京の夢の後に <1>
東京五輪大会も、あと数年に迫った。 2020年代の時代のテーマは何だろう。目下のところは「老い」と「健康」そして老後の経済と孤独が主なテーマである。 1947年から49年前後に生まれたイナゴ…
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連載10416回 ヘルス・リテラシー <5>
(昨日のつづき) ポスト・トゥルースだのヘルス・リテラシーだのと気取ったことを言っているうちに、足もとから現実的な問題が目の前に立ちふさがってきた。 5月24日付けのこの日刊ゲンダイで、私の連…
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連載10415回 ヘルス・リテラシー <4>
(昨日のつづき) リテラシーとは、要するに見別ける力のことである。読解力といってもいい。 さまざまな表現の中から、正しいものを取捨選択し、再構成し編集する。情報はあふれ返っている。クズもある。…
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連載10414回 ヘルス・リテラシー <3>
(昨日のつづき) リテラシーとは、最近よく耳にするようになった言葉だ。もともと読み書きの能力などをさす用語らしいが、いまは情報・知識などの活用能力をいう場合が多い。 要するに氾濫する情報のなか…
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連載10413回 ヘルス・リテラシー <2>
(昨日のつづき) 飲酒、すなわちアルコールの摂取についても百人百説がある。それぞれ立派な肩書きのある専門家の意見だけに、やはり気になって仕方がない。先日、見たテレビの健康番組でも、?と思わせられる…
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連載10412回 ヘルス・リテラシー <1>
最近の健康情報の氾濫は、すさまじいの一語につきる。テレビ、週刊誌をはじめ、新聞、単行本など、かつてなかったほどの健康特集のフィーバーぶりである。 これまでも健康や病気に関する記事は、メディアの米…
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連載10411回 下山の成熟とはなにか <5>
(昨日のつづき) 欧米にコンプレックスを持つわけではないが、ヨーロッパやアメリカの街を歩いて感じることがある。 それはとりもなおさず時間をかけて熟成した文明の厚味である。 わが国にも歴史を…
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連載10410回 下山の成熟とは何か <4>
(昨日のつづき) たかが一つのバッグである。どんな名前をつけようが、それはメーカーの勝手だ。しかし、カラッチオラの名前を冠したバッグには、背後に一つの物語がある。 その物語のイメージが文明の成…
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連載10409回 下山の成熟とは何か <3>
(昨日のつづき) なぜ私はそのドイツ製のバッグを購入したのか。カラッチオラという商品名は、いかなる人物の物語から名づけられたのか。 私はくわしいことは知らないが、ルドルフ・カラッチオラという人…
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連載10408回 下山の成熟とは何か <2>
(昨日のつづき) 成熟とはどういうことか。 それは経済力の発展とイコールではない。ある意味で、成熟とは「物語」の有無ではないかと思う。 一つの商品を輸出する。それを外国の人びとが買う。そこ…