沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」
-

(95)小坂一也の「北風」を聞いてカントリー音楽の虜に
冬が近づくとカントリーバンドは決まって「北風」を演奏する。1957(昭和32)年にテキサス・ビル・ストレングスが歌い、すぐに日本でも人気が高まった。カントリー音楽にしては珍しくマイナー調の曲であった…
-

(94)山下達郎の名曲「クリスマス・イブ」を涙目で歌った男の胸中
クリスマスが近づいて来ると、毎年のように流れてくる曲がある。山下達郎の作詞・作曲の名曲「クリスマス・イブ」である。1983(昭和58)年にリリースされたが、当初はそれほど広まることはなかった。だが、…
-

(93)妻の先輩が最後まで歌えなかった「恋はみずいろ」の思い出
森山良子の明るく元気な声で歌われた「恋はみずいろ」は1967(昭和42)年にレコーディングされた。 印象的なイントロが流れ、 「♪青い~空が お日さまにとける」「白い~波が 青い海にと…
-

(92)倍賞千恵子の飾らない歌い方が心にしみる「忘れな草をあなたに」
「忘れな草をあなたに」は1971(昭和46)年に倍賞千恵子が歌い、レコード化されラジオから繰り返し流れていた。作詞・木下龍太郎。作曲・江口浩司。倍賞千恵子は映画「下町の太陽」でデビューして人気を確立し…
-

(91)「冬の星座」の原曲は苦しいほど女性に悶えるラブソング
「冬の星座」は1947(昭和22)年に作詞・堀内敬三によって発表された日本の唱歌。原曲は19世紀に活躍したアメリカのウィリアム・ヘイスが1871年に作った曲である。元は「愛しのモーリー」という恋人を慕…
-

寺尾聰「ルビーの指環」の振られた男の切なさがたまらなく胸に刺さる
「ルビーの指環」は1981(昭和56)年、寺尾聰が歌い累計160万枚という大ヒットを記録した。作詞・松本隆、作曲・寺尾聰、編曲・井上鑑。 「♪く・も・り・硝子の向うは~風の街~」。跳ねるようなリ…
-

(89)「ちいさい秋」で蘇る赤いボルボの「湘南波子」との思い出
秋が来ると思わず口ずさむ歌に「ちいさい秋みつけた」がある。作詞サトウハチロー・作曲中田喜直で、1955(昭和30)年にNHKのラジオ番組の「秋」をテーマにした企画で作られた。 多くの人が耳に…
-

(88)岩崎宏美「思秋期」はオヤジたちの目頭をうるうるさせる
昭和の歌謡曲の中で「青春の曲」といえば岩崎宏美の「思秋期」を挙げる人が多い。1977(昭和52)年にリリースされた。作詞は阿久悠、作曲は三木たかしと辣腕の2人だ。 街にディスコサウンドが蔓延…
-

さだまさし「檸檬」の歌詞はまるで詩であり、私小説のようだ
さだまさしの「檸檬」は1978(昭和53)年にリリースされた。「私花集」のLPに収録された。作詞・作曲はさだまさし本人である。 出だしの「♪或の日~湯島聖堂の~」。この曲を初めて耳にした人は…
-

(86)「秋止符」のサビが来るとオヤジたちは輪になって声を合わせた
「秋止符」のギターのイントロが静かに流れてきた。1979(昭和54)年のことだった。作詞はチンペイこと谷村新司、作曲はベーヤンこと堀内孝雄、ドラムはキンちゃんこと矢沢透。それはアリスの3人組であった。…
-

(85)渡哲也が切ないムードを醸し出す「くちなしの花」
1973(昭和48)年、渡哲也が「くちなしの花」(作詞・水木かおる/作曲・遠藤実)を発売、ケレン味のない歌い方で大ヒットを飛ばした。当時オイルショックでトイレットペーパーの買いだめ騒動が起き、さらに…
-

(84)久保田早紀「異邦人」の中東風のエキゾチッキな旋律に心揺さぶられた
1979(昭和54)年、「異邦人・シルクロードのテーマ」が流れてきたとき、中東風なエキゾチックな旋律に心が揺さぶられた。強烈なイントロがこの曲を決めていた。 まるでシルクロードからイスタンブ…
-

(83)ウォークマンで聴きながら思わず声を合わせた「かもめが翔んだ日」
一度聴いたら忘れられない曲がある。それが1978(昭和53)年発売、渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」(作詞・伊藤アキラ、作曲・渡辺真知子)。本人が作詞家の伊藤アキラに依頼する時「舞台は横須賀、女の子…
-

「ひなげしの花」を歌ったアグネス・チャンには「なんて可憐な少女だろう」と引き寄せられた
1972(昭和47)年は田中角栄首相が訪中して日中国交が回復し、パンダのカンカンとランランが上野動物園に到着した年である。そして香港からは、アグネス・チャンも「ひなげしの花」(作詞・山上路夫/作曲・…
-

松田聖子「青い珊瑚礁」は世界中でカバーされている
1980(昭和55)年、松田聖子が2枚目のシングル「青い珊瑚礁」でいきなりトップアイドルに躍り出た。若い娘たちは聖子ちゃんカットを真似して、「♪あー 私の恋は 南の風に乗って走るわ」と歌っていた。 …
-

救済チャリティーでの小田和正に、娘は何度も「この日を絶対忘れない」と
1991(平成3)年、小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」が街に流れてきた。イントロがとにかくインパクトがあった。エレキギターの高音のカッティングが続き、いきなり「♪何から伝えればいいのか」と直球…
-

秋のにおいを感じると小田和正の澄んだ声が聞こえてくる
オフコースの「秋の気配」は1977(昭和52)年の終わりの頃にラジオから流れていた。あれから50年近く月日が経っているのに、夏が過ぎ秋のにおいを感じると、小田和正の澄んだ声がまた聞こえてくる。 …
-

(78)守屋浩「僕は泣いちっち」が胸に響いた中学3年の春
東京に憧れる歌謡曲は数知れない。私が中学3年生の初めに、家族は千葉に引っ越しをした。それまで中野区に住んでいたので、東京が懐かしかった。 守屋浩の「僕は泣いちっち」がラジオから流れ、胸に響い…
-

ザックを担いで中津川フォークジャンボリーに
日本の野外フェスティバルの発端は、1969(昭和44)年に岐阜県の椛の湖湖畔で行われた中津川フォークジャンボリーである。企画・運営は中津川労音の笠木透(1937~2014)で、69、70、71年と3…
-

一発屋だろうと無視していたサザンの「Oh! クラウディア」をじっくり聴いた時、心に沁みた
1970年代の終わりの頃にテレビでサザンオールスターズを初めて見た時、ロックバンドでありながら、短パンにタンクトップという姿に舌打ちをした。さらにボーカルが日本語を巻き舌で、やけに英語っぽく歌ってい…
