沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」
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「池林房」にはじまり、「五十鈴」「日本晴」まで…ドヤ街の雰囲気が残る新宿で「悪女」を熱唱
中島みゆきの「悪女」を不意に口ずさむことがある。「マリコの部屋へ~」とカントリー調、フォーク調というのか、すんなりした曲で歌詞が自然に出てくる。 しかし「悪女」の詞がよくわからない。 …
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メロディーが物悲しい藤山一郎の「長崎の鐘」を学校の帰りに合唱しながらよく歌っていた
小学生のとき、JR中央線東中野駅の近くに住んでいた。学校は早稲田通りを渡った、上高田の昭和小学校(現白桜小)であった。 学校の周りは明治・大正時代に、都心の下町から移転してきた寺院が固まって…
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えーっ!「また君に恋している」って同性愛の歌だったの? とりあえず今夜も「いいちこ」
「いいちこ」という大分の麦焼酎をよく飲んでいる。黄色いラベルに、下町のナポレオンの文字が粋であった。 ある日、いいちこのコマーシャルソングにビリー・バンバンの「また君に恋してる」が流れてきた。…
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観光バスの中で中国人が「北国の春」を大合唱 黄河沿いの道は延々と続くポプラ並木
15年前から中国大陸の面白さに目覚めてきた。2012年の激しい反日デモがあってからも、ひるむことなく物見遊山気分で、北京などに友人を誘い出かけていた。 次の年の春に「黄河流域の旅」という鄭州…
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横井久美子は「歌うことは生きること」を実践 チャーミングな笑顔に誰もが魅了された
この数年、親しい友人、編集者、昔からの山仲間、あるいは作家、画家の方々が次々といつの間にか亡くなっていく。これはおそらくコロナ感染の影響もあったはずである。私も背後からそっと、ヒタヒタと近づいてくる…
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満洲からの引き揚げ船に流れた「かえり船」…バタヤンの低い歌声にあちらこちらで嗚咽が
昭和の歌謡曲を聞くと、おじさんと言われる連中は、不意に涙が込み上げてくる。「歌謡曲」という言い方は昭和11(1936)年以後である。それまでは流行歌と一般的に呼ばれていた。どちらにせよ大衆的な歌曲で…
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山本潤子の透明な声に鳥肌が立つ…京都のやさぐれ天使はさめざめと泣いた
京都・岡崎のロームシアター京都(旧京都会館)に行ったのは、すでに四十数年前のことである。 その頃、奈良や京都に毎月のようにお寺の取材で通っていた。建築に興味を持っていたときで、寺院の柱や屋根…
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「サボテンの花」はお酒を飲んで聴くと危険…冬の景色が浮かび上がり泣きくずれたくなる
歌は出だしが肝心、財津和夫の「サボテンの花」を聴いたとき「ほんの小さな出来事に」のイントロで胸に突き刺さった。自分自身を振り返ってみると、恋が終わるときは、ささやかなことで別れてしまうものだ。だがこ…
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キスしようとしたら女の子が猛然と抗議…都会の夢を広げた「有楽町で逢いましょう」
フランク永井の「有楽町で逢いましょう」をよく耳にしたのは、東京・中野から千葉に引っ越しをした中学3年生の頃である。家から歩いてすぐに海が広がっていた。 辺りには松林が多く、いつも犬を連れて、…
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かまやつひろしの「ノー・ノー・ボーイ」が今もなお遠くから聞こえる
かまやつひろし(ムッシュかまやつ)に私は高校時代から憧れ、遠くで見つめていた。初めて生で見たのは東京オリンピンの1964年ごろの冬で、銀座ガスホールの地下ACB(アシベ)であった。回転するステージで…
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生きることは旅すること 美空ひばり「川の流れのように」を聞くと病床の母を思い出す
昭和の時代が終わったのは昭和63年、1988年のことである。翌年は平成元年でその年の6月に美空ひばりが亡くなった。52歳という若さでこの世を去った。「昭和の歌姫」という番組が多く組まれた。 …