沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」
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「ひなげしの花」を歌ったアグネス・チャンには「なんて可憐な少女だろう」と引き寄せられた
1972(昭和47)年は田中角栄首相が訪中して日中国交が回復し、パンダのカンカンとランランが上野動物園に到着した年である。そして香港からは、アグネス・チャンも「ひなげしの花」(作詞・山上路夫/作曲・…
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松田聖子「青い珊瑚礁」は世界中でカバーされている
1980(昭和55)年、松田聖子が2枚目のシングル「青い珊瑚礁」でいきなりトップアイドルに躍り出た。若い娘たちは聖子ちゃんカットを真似して、「♪あー 私の恋は 南の風に乗って走るわ」と歌っていた。 …
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救済チャリティーでの小田和正に、娘は何度も「この日を絶対忘れない」と
1991(平成3)年、小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」が街に流れてきた。イントロがとにかくインパクトがあった。エレキギターの高音のカッティングが続き、いきなり「♪何から伝えればいいのか」と直球…
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秋のにおいを感じると小田和正の澄んだ声が聞こえてくる
オフコースの「秋の気配」は1977(昭和52)年の終わりの頃にラジオから流れていた。あれから50年近く月日が経っているのに、夏が過ぎ秋のにおいを感じると、小田和正の澄んだ声がまた聞こえてくる。 …
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(78)守屋浩「僕は泣いちっち」が胸に響いた中学3年の春
東京に憧れる歌謡曲は数知れない。私が中学3年生の初めに、家族は千葉に引っ越しをした。それまで中野区に住んでいたので、東京が懐かしかった。 守屋浩の「僕は泣いちっち」がラジオから流れ、胸に響い…
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ザックを担いで中津川フォークジャンボリーに
日本の野外フェスティバルの発端は、1969(昭和44)年に岐阜県の椛の湖湖畔で行われた中津川フォークジャンボリーである。企画・運営は中津川労音の笠木透(1937~2014)で、69、70、71年と3…
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一発屋だろうと無視していたサザンの「Oh! クラウディア」をじっくり聴いた時、心に沁みた
1970年代の終わりの頃にテレビでサザンオールスターズを初めて見た時、ロックバンドでありながら、短パンにタンクトップという姿に舌打ちをした。さらにボーカルが日本語を巻き舌で、やけに英語っぽく歌ってい…
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言葉がサウンドに流れるように重なっていく「夏のクラクション」
夏になるといつも遠いところから聞こえてくるのが、稲垣潤一の「夏のクラクション」である。作曲・筒美京平、作詞・売野雅勇、編曲・井上鑑。1983(昭和58)年7月に発売された。 特にサビの「♪夏…
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ちあきなおみ「喝采」はひと呼吸、息遣いが見事
昭和歌謡曲の名曲に「喝采」をあげる人が多い。ちあきなおみが1972(昭和47)年にレコーディングした曲である。録音の時は辺りを暗くして、素足でマイクに向かった。そのくらい訳ありのドラマチックな歌詞で…
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憧れの彼女の家にスイカを持って行った夏の日の思い出
ピアノのイントロがまず哀愁を誘う。「♪夏が~過ぎ~風あざみ」「♪誰の~あこがれに~さまよう~」。伸びやかな声が過ぎ去った少年時代を回想させる。 井上陽水の「少年時代」は1990(平成2)年に…
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一面に咲き誇る水芭蕉に心奪われて生まれた「夏の思い出」
17歳の高校生のときに尾瀬沼から至仏山に登った。あれはすでに六十数年前の淡い夏の思い出である。至る所で高山植物が咲き誇っていた。チングルマ、ハクサンイチゲ、シナノキンバイなどが風に揺れていた。 …
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あがた森魚「赤色エレジー」の底知れぬ暗さに引きずり込まれる
2025(令和7)年の街はどこもかしこも不景気で、居酒屋も閑散としている。なんだか黒い湿った布が世の中を覆っているようだ。 こういうときだからこそ、また歌いたい。それがあがた森魚、1972(…
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女を捨てた男の怨念がヒタヒタと迫ってくる「東京ブルース」
東京をタイトルにした歌はたくさんあるが、これほどいつまでも胸に残る曲も少ない。それは1964(昭和39)年発売の「東京ブルース」である。「♪泣いた女が バカなのか」「♪だました男が 悪いのか」。西田…
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マイク真木は81歳になったいまもライブの最後に「バラが咲いた」を披露する
マイク真木の「バラが咲いた」を聞いたとき、あまりにもストレートな単純な歌詞に驚いた。 「♪バラが咲いた バラが咲いた」のメロディーも素直一筋で、ギターを手にするとコード譜を見ることなく弾けた。…
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「空に星があるように」の歌詞には優しさと温かみがある
ギターを手にすると何げなく「♪空に~星が~あるように~」と音痴ながら歌い出しているときがある。特別にこの曲に思い入れがあるわけではないが、「♪浜辺に~砂が~あるように」と続き、歌詞を見ているわけでは…
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津村謙「上海帰りのリル」は訳ありの人の名がぴったり
「上海帰りのリル」は1951(昭和26)年に津村謙によって大流行をした。 「♪船を見つめていた ハマのキャバレーにいた」。明るいタンゴのリズムにのった曲で、艶と哀愁のある声と重なり、独特のハイカ…
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千昌夫「星影のワルツ」の元の題名は「辛いなあ」
昭和の歌謡曲の中でも「星影のワルツ」はしみじみと誰もが口ずさむ、名曲中の名曲といえよう。スタートは1966(昭和41)年に千昌夫が録音したが、当時はほとんど注目されることはなかった。だが歌手の千は粘…
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はしだのりひことシューベルツの「風」は学生運動が終焉した街に切なく流れていた
1969(昭和44)年前後は学生運動の風が各地の大学で吹き荒れていた。成田空港阻止にて機動隊と乱闘。東大・安田講堂立てこもり事件。新宿駅西口反戦集会。そして日航「よど号」赤軍派学生ハイジャック。やが…
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リリカルな「四季の歌」をつくったのは札付きの不良だった
高校時代にウクレレを触り、コード(和音)を知った。最初に弾いた曲は「四季の歌」(作詞・作曲/荒木とよひさ)である。 「♪Dm春を愛する人は Gm心清き人A7」。歌詞もメロディーもコードも覚えや…
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戦後の混乱と夢がよみがえる「リンゴの唄」
小学生の頃、最初に口にした歌は1946(昭和21)年の「リンゴの唄」(作詞・サトウハチロー/作曲・万城目正=まんじょうめ・ただし/唄・並木路子)であった。 下校するとき「♪赤いリンゴに 口び…