五木寛之 流されゆく日々
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連載11204回 30年前の文章から <7>
(昨日のつづき) 89回ルマン耐久レースでトヨタ・チームが優勝した。小林可夢偉の乗る7号車である。トヨタはこれでルマン4連覇。ルマンで勝つということは、大したことなのだ。 それでもEUは203…
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連載11203回 30年前の文章から <6>
(前回のつづき) クルマの話にどうして<グミ・キャンデー>が出てくるんだろうと、不思議に思われた読者もいることだろう。まあ、続きを読んでください。 或る席でグミをすすめられて口にしてから、しば…
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連載11202回 30年前の文章から <5>
(昨日のつづき) 今回も『30年前の文章から』の続きである。 このところ気の滅入るニュースばかりで、ステイ・ホームの日々もすこぶる鬱々たるものだ。30年前の虚栄の余香を思い返してみるのも悪くな…
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連載11201回 30年前の文章から <4>
(昨日のつづき) 91年6月第2週の『流されゆく日々』には、こんなことを書いている。 『ドイツ的なるものの謎』という文章である。 (No3828回~3835回) <(前略)ドイツ的なもの。 …
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連載11200回 30年前の文章から <3>
(昨日のつづき) 30年前といえば、1991年、私が50代後半の時期である。 当時はまだ自分で車を運転していた。その頃の私の道楽といえばもっぱら車だった。しかし私はこれまで一度も超高価なスーパ…
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連載11199回 30年前の文章から <2>
(昨日のつづき) ちょうど30年前の『流されゆく日々』の文章の中から、いくつかのフレーズを拾いあげてみよう。<予測不可能な時代に>というのが、その週のコラムのタイトルだ。 ’91年8月後半に掲…
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連載11198回 30年前の文章から <1>
今日、敗戦の日。8月15日という日付けが、1年ごとに色褪せていく。新聞の扱いも心なしか控え目である。 戦後70余年も過ぎれば当然だろう。いまはデジタルトランスフォーメイションの時代なのだ。<戦争…
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連載11197回 金メダルと涙 <4>
(昨日のつづき) 「泣く」ということは、これまでずっと批判の的だった。封建的義理人情の世界の象徴のように見られていたからである。 「お涙頂戴」とか「メロドラマ」などという言葉は嘲笑の対象であり、近…
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連載11196回 金メダルと涙 <3>
(昨日のつづき) 最近、ちょくちょく医師のかたと対談をする機会があるのは、コロナのせいだろうか。 免疫論の多田富雄さんのスタッフだったドクターと一度、それに続いてフランクル氏のお弟子さんの医学…
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連載11195回 金メダルと涙 <2>
(昨日のつづき) 「なーに、最初は反対しても、始まってみれば夢中になるさ。日本人って、そういう国民なんだよ。前の戦争のときだって、そうだったんだから」 と、いった声をマスコミ関係者、その他からし…
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連載11194回 金メダルと涙 <1>
柳田国男に『涕泣史談』という文章がある。読んだのはかなり昔のことなので、よく憶えていないところもあるが、要するに日本人の「泣く」ということに対する考察だ。 もともとは講演か何かで喋った内容らしい…
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連載11193回 貧しき食生活のなかで <5>
(昨日のつづき) 食に関して不思議に思うことがいくつかある。前に書いた比叡山の千日回峰行の行者の食事についてもそうだが、現代の栄養学で説明のつかない現実が少なからずあるのだ。 たとえば、敗戦後…
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連載11192回 貧しき食生活のなかで <4>
(昨日のつづき) この何十年かのあいだ、ずっと一日2食で通してきた。2食といっても、どこかで多少のつまみ食いをするから、正確には2食半といったところか。 昔は高齢者は淡白な食事をすすめられてい…
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連載11191回 貧しき食生活のなかで <3>
(昨日のつづき) 貧しい食生活のなかで、20代前半は体重50キロ台だった。たぶん痩せて青白い顔をしていたのだろうと思う。 中年になって60キロを超えるようになった。この頃は、一応、人並みの食生…
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連載11190回 貧しき食生活のなかで <2>
(昨日のつづき) 昭和27年に上京して、しばらくホームレス大学生のような日々を過ごした。 知人、友人の部屋に居候させてもらったり、ときには神社の床下にもぐり込んで寝たりしたこともある。 何…
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連載11189回 貧しき食生活のなかで <1>
私に欠けている多くの能力の一つが、食に関する執着である。食は養生にあり、と言う。人間が生きていく上での食べることは、まず最大の条件だろう。 モノを食べることは嫌いではない。しかし、そこに執着とい…
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連載11188回 「寝そべり族」と「余計者(オブローモフ)」 <5>
(昨日のつづき) むかし噺には「三年寝太郎」というのがある。ごろんと寝そべってばかりいる男が、意外な働きをするというストーリーだが、なんで寝そべっているのかがよくわからない。 民芸にしても、新…
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連載11187回 「寝そべり族」と「余計者(オブローモフ)」 <4>
(昨日のつづき) 起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し と、戦後、街角や炭鉱に歌声がひびき渡ったのは1950年代のことだった。そこでは「起つ」ことが抵抗であり連帯であったのだ。 しかし、その後「…
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連載11186回 「寝そべり族」と「余計者(オブローモフ)」 <3>
(昨日のつづき) 「余計者」「寝そべり族」の発生は、1960年代の米国にも見られた。いわゆるヒッピー族の登場がそれだ。 60年代アメリカ合衆国で、既存の体制と文化に対するカウンターカルチュアが独…
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連載11185回 「寝そべり族」と「余計者(オブローモフ)」 <2>
(昨日のつづき) 現代中国の「寝そべり族」にあたる知識人の先駆けは、19世紀ロシアの「余計者」にあるというのは私の勝手な連想にすぎない。 文字どおりステイホームの日々のうちに、私の妄想に浮かん…