保阪正康 日本史縦横無尽
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開戦通告を読んだハル国務長官の怒りは実は演技だった
開戦通告の遅れについて、もう少し大使館内部の状況を語っておこう。この日(1941年12月7日)は日曜日で、大使館業務は止まっていた。前日の夜に、館員たちは次の赴任地のメキシコに向かう寺崎英成の送別会…
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米国人タイピストからの情報漏れはなかったのか?
駐米日本大使館のタイピストは、全てアメリカ人であったという。実際にその頃、日本には英文タイピストが全くいなかったのだから、仕方ないといえば仕方のないことであった。このタイピストたちは人材派遣会社から…
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日米断交の通告文書はなぜタイピングが遅れたのか
昭和16年12月8日の真珠湾攻撃に至るプロセスで、あるいは戦時の段階で、さまざまな形のエピソードがあった。それを個々に紹介しているわけだが、この種の歴史的秘話をさらに細かく見ていきたい。そうすること…
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日本人は真珠湾開戦の前日までJ・スチュアートやG・クーパーの映画を見ていた
アメリカ社会で真珠湾攻撃はいかように受け止められたのか。つまり日本の国民はルーズベルトのわら人形に竹やりを刺して、敵を憎んだが、アメリカ国民はどんな反応を示したのか。その具体例をもう少し詳しく調べて…
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敵を憎む戦争文化から生まれた「男は断種され、女は強姦される」という妄想
「大東亜戦争」が始まってからの日本社会は、「敵を憎む」という教育が至るところで行われた。戦争はむろん敵との軍事衝突であり、それは生か死かの戦いである。それゆえに敵を憎むという感情は何よりも強調されたの…
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国民は虚構空間に身を置くことで忠実な臣民となり得た
チャーチルが見抜いた日本語でつくり上げた虚構空間。そこには事実と虚構が入れ替わった奇妙な世界があった。 戦時下の第81回帝国議会はその例であった。東條首相兼陸相は、私には戦勝の自信があると言…
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大本営発表のカラクリを見抜いた英国チャーチル首相
戦時下の日本社会では、空虚な言葉と言語が幅を利かせていた。帝国議会では何一つ具体的な内容はなく、ひたすら皇国の優秀さを繰り返し、互いに満足するという光景が演じられた。海軍出身の財界人である伍堂卓雄(…
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日露戦争で上級職は謙虚に向き合い、兵士の死を避ける努力をした
軍事指導部は今次の戦争で、死を恐れぬ臣民を必要としていた。結果的に九軍神は、その役を担うことになった。その構図を説明しなければならない。この点についてはすでに紹介した牛島秀彦の著作「九軍神は語らず」…
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特殊潜航艇の攻撃隊員10人が「九軍神」になった理由
真珠湾奇襲攻撃はむろん連合艦隊の航空部隊の空からの攻撃であったが、実は潜航艇による攻撃も計画されていた。この潜航艇は全長が23.9メートルの2人乗りで、魚雷2本を積み、呉軍港から真珠湾を目指して出発…
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「撃破」が「撃沈」に…海軍上層部の嘘の書き換えで負け戦が勝ち戦になる
「大本営発表」について、もう少し語っておこう。確かにこの発表は嘘、誇大、捏造といった部分が多いのだが、緒戦の戦果の良い時はある程度、事実に基づいていた。特に真珠湾攻撃の成功やマレー作戦、香港作戦などの…
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大本営発表846回は「嘘と改竄、捏造の繰り返し」だった
真珠湾攻撃で日本中が沸き返った時、戦争開始を伝える「大本営発表」は、まさに国民のカタルシスの象徴であった。 その第1号は昭和16(1941)年12月8日午前6時の発表で、内容は「帝國陸海軍は…
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真珠湾攻撃が生んだアメリカ国民の怒りと暴力
昭和16(1941)年12月8日の太平洋戦争開始時の歴史的エピソードを、さらに紹介していくことにしよう。こうしたエピソードの背景には、日本社会のさまざまな顔が見え隠れしている。 すでに知られ…
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緒戦の「真珠湾攻撃」から日本は危ない橋を渡っていた
12月8日は真珠湾奇襲攻撃から80年である。この80年間に日本とアメリカでは、この奇襲攻撃についてどのような変化があったであろうか。大まかに言えば、同時代的見方から歴史的見方へと変化していると考えて…
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ルーズベルトの目標は「敵勢力」を根本から排除することだった
すでに紹介しているのだが、日本が真珠湾攻撃を進める事態に、ルーズベルトは世界から野蛮な勢力を駆逐するまで戦いを続けることを国民に誓った。ドイツ、日本との戦いは、中途半端はあり得ない、徹底的に戦う、と…
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「戦争は意思の勝負である」東條英機の不穏当な国民観
首相としての東條英機は、緒戦の戦果に気を良くして自分こそ戦時指導者にふさわしい、自分は天皇の信頼に応えた真の忠臣だと高言した。東條は確かに戦時下で戦果に酔っている時は国民に歓迎された。大本営の世論指…
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東條英機「私に逆らうのは天皇に弓引く行為」の歪んだ心理
軍人が勲章や爵位を欲しがるのは、なにも日本だけのことではない。旧ソ連が崩壊した時に何度かモスクワを訪れた。その折に第2次世界大戦時にナチスドイツと戦い、武勲を立てた軍人を何人か取材できた。勲章を幾つ…
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軍人が戦争したがる理由は「爵位が欲しいから」
本社のエリート社員は、大本営参謀と同じ立場であった。企業の業績を上げるためには、現場の社員や末端の社員にノルマを与え、げきを飛ばしてその滅私奉公に期待するという形になった。業績が上がらないとなれば、…
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近代日本は戦争を国家の「儲かる」営業品目と考えていた
真珠湾奇襲攻撃前後のいくつかのエピソードを書いているのだが、日本は戦争の明確な展望もなく、さらに戦争終結の具体案もなく、とにかく開戦に踏み切った。こういう言い方は的確か否かは別にして、一時の感情でい…
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東條英樹が言った「この内閣は秘密の漏れない内閣だ」の意味
真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まったともいえるわけだが、この戦争の始まりをほとんどの日本人は知らなかった。この奇襲攻撃はアメリカの指導者だけでなく、世界各国の人々をも驚かせた。実は何よりも日本国民を…
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日本軍の兵器開発を軽視する姿勢が「特攻隊の悲劇」を生んだ
日本は対米英戦に踏み切った時に、いくつかの錯誤を犯していた。アメリカの国力を客観的に判断する基準を持っていなかった。いやもっと簡単にいうならば、技術に対して謙虚な姿勢を失っていた。精神力が技術の上に…