保阪正康 日本史縦横無尽
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スパイには共通点が…引退後も夢にうなされ監視の不安と戦う
私は、昭和史の史実を確認するために多くの人々に会ってきた。その中で諜報関係者にも少なからず会っている。むろん日本人だけでなく、アメリカ人、ロシア人、中国人などさまざまである。その中でまず諜報、いわゆ…
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スパイは人間不信になるし人格も二重、三重に屈折していく
諜報員は、それぞれの国で情報教育を受けてという形を取るのだが、その場合、諜報員とは思われない人物こそもっとも効果的である。第1次世界大戦では、各国の諜報員はそれぞれに特徴があった。ドイツ、ロシアなど…
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苛烈な戦争を体験したドイツ、英国でスパイ技術が格段に進歩した
第1次世界大戦後のワシントン会議での日本全権団と日本政府の電報のやりとりは、アメリカの情報機関によって見事に盗まれていた。それは主にハーバート・O・ヤードレーが動かしていたブラック・チェンバーが率い…
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米国は潜水夫を使い、海に沈んだ日本の艦艇から暗号を盗んだ
中国には古来、戦争にまつわる言い伝えがあった。例えば「良い鉄は釘にはならない」というのは、常識のある人物は兵隊にはならないというのであった。傭兵を軽く見ることだと言えようか。「愚か者は将軍と間諜(ス…
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米国の情報解読機関は日本海軍の暗号解読に苦戦した
ワシントン会議での日本海軍は、主力艦の排水量を6割でまとまったことに不満であった。いつか痛い目にあわせてやろうという不満を心中に秘める幹部もいたのである。戦略上は戦艦、巡洋艦などの主力艦はアメリカ、…
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日本は「英米の排水量6割」という海軍軍縮条約に同意
原敬首相はワシントン会議に強い期待を持っていることを隠さなかった。軍備を抑制する方向に賛成だったからである。 「(軍備を制限することで)国民の負担を軽減することを得るならば、最も歓ぶべきところ…
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アメリカの大衆紙は「日本は危険な国だ」と書き立てた
日本とアメリカがいずれ武力対決に至るのは、パリ講和会議やワシントン会議の内実を見ていくと容易に想像することができた。20世紀に国際秩序の中に入って地歩を固めた2大勢力であり、ヨーロッパ主体の世界の枠…
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日本とアメリカは共にアジア支配の野望を抱いていた
第1次世界大戦後の戦後処理をめぐるパリ講和会議に、日本も5大国の1カ国として出席した。そこで対中国問題と人種問題だけは積極的に発言したが、その他の問題にはほとんど口を挟まなかった。その沈黙は他の主要…
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「昭和よ、お前は暗闘と改めよ」と説いた桐生悠々
5大言論のひとり、桐生悠々についても説明しておきたい。昭和の前半に限れば、もっとも言論人としての矜持を守ったのはこの人物以外にいないと、私は考えている。 桐生はもともとは信濃毎日新聞の論説委…
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内村鑑三は過去を恥じて日露戦争に反対した
近代日本の「5大言論」についてもう少し書いておきたい。内村鑑三の日露戦争の非戦論は、黒岩涙香の主宰する「万朝報」の主筆として書かれた論説であった。こうした論説は英文で書かれたのだが、内村は札幌農学校…
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日本の道を示した5人の思想家の国家論
今回と次回の2回はこれまでの流れと趣を変えて、「近代日本の5大言論」について触れておく。日本社会を変えるほどの大きな影響力を持つ言論は、やはり日本社会に燦然と輝いている。それが5つあるのではないかと…
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軍人も国民も「日本人の先達に申し訳ない」と考えていた
石橋湛山は「一切を棄つるの覚悟」の中で、とにかく日本は本来の北海道、本州、四国、九州、そして沖縄を持てば良いのであり、近代日本になって植民地として拡大した朝鮮、台湾などを全て放棄せよというのである。…
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東洋経済新報社説で「一切を捨つる覚悟」を説いた石橋湛山
日本は言論史の上からは、第1次世界大戦後の国際協調路線の下で、いわゆる民主主義的な言論や評論、それに小説などが流行となった。日本社会にルネサンスともいうべき状況が生まれたと言ってもよかったのである。…
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戦間期の日本のねじれと知識人の葛藤
第1次世界大戦の戦後処理をめぐるパリ講和会議で、日本の立場は一気に国際社会のトップランクに達した。さてその頃、日本社会はそれまでの明治期の政治状況とはまったく異なる顔を持つ国になった。いわゆる知識人…
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吉野作造は大正デモクラシーの代表的論者だった
パリ講和会議のあと、日本社会は、総合的には大正デモクラシーと評される民主主義の波をかぶることになった。これまで語ってきたように近衛文麿の英米本位の世界秩序への異議申し立てもそういう流れに組み込まれる…
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日本の思想の見本市のような空間となった中江丑吉の借家
中江丑吉の人物像について続けよう。丑吉は北京で表面上は、袁世凱政府の日本人顧問役の有賀長雄の秘書という肩書も持っていた。この点では孫文に肩入れする日本人志士たちとは距離を置いていた。そして満鉄のスタ…
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中江兆民の息子・丑吉と中国の関わり合い
パリ講和会議において、日本は中国への権益の確保と人種問題について声高に意見を述べた。しかし他の問題については沈黙を通した。5大国に入ったといっても、先進帝国主義のような政治的力量を持っているわけでは…
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「日米もし戦わば」のキャンペーンが日系移民の立場を悪化
ここからは第1次世界大戦を離れて、日本人とアメリカ国民との間に広がった不信感、あるいは憎しみについて触れておきたい。第2次世界大戦の太平洋戦争で、日本の軍事指導者は「鬼畜米英」と叫び、とにかく憎悪を…
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近衛文麿も書いた白人の黄色人種への嫌悪
パリ講和会議で日本が持ち出した人種問題については、民族間の感情が絡むこともあり、わずかの討議で片がつく問題ではなかった。ヨーロッパにおいては、自分たち白人以外は人間と認めない頑迷さがあった。この感情…
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米国が日本の人種問題条文を拒否した理由
講和会議での日本は、自国に関わりを持たない問題に関しては、基本的に口を挟まなかった。ドイツから獲得した中国の権益と人種問題だけに口を開いた。すでに知られていることだったが、ドイツから獲得したのが中国…