保阪正康 日本史縦横無尽
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西園寺公望や牧野伸顕は軍事一本の外交路線と対立した
近衛文麿がこの代表団に加わったのは元老の西園寺公望がその将来に期待をかけているためであった。天皇制下の日本が軍事や政治のバランスを保って歩んでいくには、天皇に近い公家華族の側近が必要であった。さしあ…
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パリ講和会議によって戦間期がドイツの復讐の期間となった
ドイツが結局、敗戦を受け入れたのは西部戦線でも連合軍に押されていったこともあるが、兵士の間に勝ち目の薄れた戦争にすっかり嫌気がさしたり、後方のドイツ社会で戦争反対による革命の機運が盛り上がってきたこ…
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「歴史の神」はレーニンとウィルソンそしてヒトラーを生み出した
第1次世界大戦と第2次世界大戦は連結しているのではないか。もっとわかりやすくいうならば、20世紀の前半に人類史が劇的に変わったのではないか、と思われる。それは従来の戦争の概念を変えることで、戦争によ…
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日本は政治、外交において国際社会の孤児となった
どのような組織でもそうなのだが、実態を正確に掴む者と掴めない者とがいる。第1次世界大戦の軍事的分析にはそれがよく表れていた。冷静に分析した者は要職から外れ、感情で分析した者は出世の階段を上っていった…
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持久戦争では政治に調整を依頼しなければならない
石原莞爾は第1次世界大戦でドイツ軍が最終的に敗れたのは「統帥権独立」を掲げた「ヒンデンブルクとルーデンドルフの最高統帥」に対して、カイゼル(皇帝)といえども対抗できなくなったために軍事が脆弱になって…
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ドイツの軍事力の弱体化と統帥権の関係
石原莞爾は都合4年ほどのベルリン留学で、第1次世界大戦をはじめヨーロッパの戦争を詳細に調査、研究して日本に戻った。そして陸軍大学校の教官を務めたのだが、その折に作成した講義ノートは、それ自体がのちに…
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石原莞爾は「次は日本とアメリカの戦争になる」と断言した
東條英機がドイツに駐在したときに、第1次世界大戦から学んだのは精神論に基づいた軍事論であった。理論よりも感情を重視するこの将校は日本に戻って陸軍大学校の教官を務めたが、その講義は極めてドイツに肩入れ…
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東條はドイツの敗因を厭戦思想に求め反対意見を排除した
第1次世界大戦が日本の軍人にどういう影響を与えたかを2つの面から見ていく必要がある。 1つは武器、軍備の変化、ないしは新しい武器の登場である。つまり戦争はこれまでと全く異なった軍事行動に変化…
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外相の加藤高明が大正天皇に根回しして参戦を強行した
第1次世界大戦に参戦した日本は、手続き上は御前会議で天皇の了解を得なければならなかった。大隈重信内閣の外相は加藤高明であった。ところが加藤は、大隈の了解のもとにすぐに対独開戦を決めている。そのうえで…
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日本人は第1次大戦からどんな教訓を学んだのか
第1次世界大戦の終結は開戦がそうであったように、なし崩しの形で終わった。その特徴は、4年余も戦っていたことによる戦争当事国の疲労、そして戦争の意味が次第に拡散したこと、さらには20世紀の世界新秩序が…
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ドイツ軍の損失は134万人…スペイン風邪の患者は50万人に
1918年9月には、西部戦線でのドイツ軍は次第に攻勢から防御の戦争へと変化した。イギリス、フランスなどに加え、アメリカ軍兵士の大量投入がドイツ軍を圧倒したともいえたが、ドイツの戦争における権益確保の…
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米国は戦車や機関銃も準備できなかったが戦争を支え続けた
スペイン風邪の流行は、第1次世界大戦の終結が早まった原因にはなっている。前線ではこの病によって、兵士の士気が著しく下がったというし、戦争への嫌悪感も広がったといわれているほどだ。どこでどのようにして…
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米国はスペイン風邪とともに140万人もの兵士を送り込んだ
アメリカは当初、第1次世界大戦に参戦する状況にはなかった。もともとアメリカは20世紀に入っても豊かな国とはいえず、極端なまでに極貧層と富裕層の差が開いていた。しかし新興国の強みを生かし、理想主義的指…
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8万人から400万人へ アメリカの兵員動員力は一気に増えた
ドイツの軍事指導者たちは、アメリカの国力をそれほど高くは評価していなかった。南北戦争が落ち着いて、まさに統一国家になったのは日本が明治維新を迎えた頃と同じ時期であった。ヨーロッパの帝国主義国家のよう…
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輸送船、商船を撃沈されたアメリカがドイツに宣戦布告した
第1次世界大戦の帰趨が決した背景にはいくつかの事情がある。その最大の理由はアメリカの連合国軍への参加である。戦況が次第に深まってくると、国家総力戦という名の殲滅戦になっていった。つまり相手側の非戦闘…
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1918年の米騒動は富山県の漁港の主婦たちから始まった
このシベリア出兵は日本社会にさまざまな波紋を生んだ。こうした現象は第1次世界大戦の影響と言ってもよかった。そのひとつに、富山県の主婦を中心に始まった米騒動が挙げられる。シベリア出兵に7万5000人余…
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シベリア出兵で日本は4年間も兵を送り続けた
ロシアが第1次世界大戦から離脱することで、この世界戦争はもう一つ変わった局面が生まれた。ロシアのボリシェビキ政権が全国統一を成し遂げていなかったため、ロシア国内が内戦状態になったのである。特にシベリ…
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ボリシェビキ政権はドイツの社会主義革命を期待していた
ボリシェビキ政権は、疲弊しているロシア国民に「第1次世界大戦からの離脱」を約束した。戦争をやめ、とにかく平和を回復し、合わせて労働者の生活を安定させると約束し、農民には土地を与え、その勤労意欲も刺激…
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怪僧ラスプーチンによる退廃などからロシアは革命に向かう
怪僧ラスプーチンがロシア革命の火付け役になったとは言えないまでも、この怪僧が宮廷内部に混乱と退廃をもたらし、国民の怒りを買ったのは事実であった。こういううさんくさい霊能力者がなぜ、皇帝や皇后の信頼を…
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第一次世界大戦で500万人の戦死、戦傷者を出したロシア軍
第1次世界大戦は3年目の1917年以後は、その様相を一変した。大きく言えばこの戦争によって、人類史は新しい段階に入ったということだ。アメリカの連合国支援を目的とした参戦、ロシア国内での共産主義革命、…