保阪正康 日本史縦横無尽
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ソ連大使館員は広島、長崎から東京に戻り体調が悪化した
2人のソ連大使館員、イワノフとセルゲーエフが長崎駅に着いたのは8月17日の朝だったという。その列車は長崎駅までは行かず、2つ手前の小さな駅で停車し、客はそこで降ろされた。2人は駅長に話をつけ、荷物の…
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広島市街は鳥の鳴き声は聞こえず、犬や猫もなく、死体の山だった
2人の駐日ソ連大使館の書記官は、日本人の付き添いもなく、広島市内を見て回ったというのだ。実はイワノフは、広島を何度も訪れたことがあったという。それに広島の地図も持っていた。しかし駅から街の中心までは…
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イワノフとセルゲーエフの2人の大使館員が広島を調査した
広島に原爆が投下された日、東京の駐日ソ連大使館の書記官2人がスターリンの命令ですぐに広島に赴いたというエピソードを紹介した(547回目)。私は1990年代初めのモスクワでその経緯を当事者から聞く約束…
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東大助教授だった丸山眞男は高級参謀に敬語で迎えられ現代史の講義を頼まれた
軍人たちは、原爆を太陽の光を利用した爆弾と早合点し、陽光にあたらなければ大丈夫だと部内に伝達した。根拠があろうとなかろうと、とにかく被害を軽微に見せて戦争継続を企図しようとしていたのである。 …
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司令部の軍人たちは原爆を「太陽の光を利用する爆弾」と見ていた
広島に原爆を投下され、鈴木貫太郎内閣は天皇の意思を受けて一気に終戦工作に向かった。日本の軍部はこの投下に対してどのような対応をしたか、そのことを整理しておく必要がある。なぜなら日本を含め世界の知識人…
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政治学者・丸山眞男はラジオのトルーマン演説で原子爆弾だと知った
広島への原爆投下によって、被災の体験を持つことになった日本の知識人は、どのような感想を抱いたのか。そのことを詳しく調べていくべきだと思うが、差し当たり広島県の宇品に一兵士として籍を置いていた政治学者…
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丸山眞男が目撃した原爆の「悪魔の光」
戦時下に広島にいて被爆した知識人は、どのような考えを持ち、戦後社会にどのような見解を伝えたのだろうか。私たちはそのような歴史的な意味を正確に知っておく必要がある。 戦後、民主主義に立脚して、…
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校庭は一瞬で地獄絵図に…「必ず復讐してくれ」と叫んで死んだ中学生
原爆投下に日本の知識人は、どのような反応を示したのか。それを確認することは、人類史上で初めて使われた大量殺人兵器の被災者となった日本人が、今後も世界に向けてその非道さを訴えていかなければならない宿命…
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科学者と軍部は米国のラジオ放送で広島に投下された新型爆弾が原爆だと気づいた
テニアンから飛んできた原爆搭載機が広島に投下したのは8月6日の午前8時15分である。これが原爆だとは軍事の技術将校たちは全く思わなかった。軍事機構の中にも科学者たちは多かった。 帝国大学での…
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エノラ・ゲイ号はテニアン島ではなくワシントンに無線を打った
大本営陸軍部の情報参謀・堀栄三は、情報分析に抜きんでた才能を持っていた。太平洋戦争でアメリカ軍の反攻によって、日本がかつて制圧した南洋の島々が次々に奪回されていくとき、堀は次にアメリカ軍のどの部隊が…
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ポツダム宣言黙殺は原爆を使いたがるアメリカ軍上層部にとって好都合だった
アメリカが原爆の投下実験に成功したのは7月16日であった。その報告はすぐにポツダムにいるトルーマン大統領にも伝えられた。7月24日には参謀総長代理など軍部の首脳部がまとめた原爆攻撃の最終案がまとめら…
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日本はソ連が対日戦に踏み切らないよう必死だった
想定のひとつは、日本がこの頃にソ連にいかに媚態を示していたかという点だ。日本はソ連に、この戦争のアメリカ、イギリスとの講和の仲介を依頼していた。正式には、モスクワに特使を送り、仲介をより具体的にして…
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ソ連大使館員が被爆直後の広島を視察 それは今も謎として残る
駐日ソ連大使館の書記官が、被爆直後の広島に入ったのはむろん史実として伏せられている。つまり、これまで日本では公式に語られていない。東京から広島までは、距離にするとほぼ700キロ離れているのだが、東京…
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広島への原爆投下で、スターリンは何を調べようとしたのか
東西冷戦下の旧ソ連の諜報員の話をさらに続けよう。私がモスクワで新聞記者たちと諜報員の話を聞いたのは旧ソ連の社会主義体制が崩壊した直後であった。生々しい話が多く、私はこの種の話が全て事実だとは思えなか…
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旧ソ連がアメリカ中に情報網を築いた可能性
ベトナム戦争では北ベトナムを攻撃するアメリカの爆撃機や偵察機がしばしば北ベトナム軍によって撃墜された。パイロットたちは脱出しても大体が捕虜として捕まる。そこで北ベトナムの将校から取り調べを受ける。こ…
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スパイには共通点が…引退後も夢にうなされ監視の不安と戦う
私は、昭和史の史実を確認するために多くの人々に会ってきた。その中で諜報関係者にも少なからず会っている。むろん日本人だけでなく、アメリカ人、ロシア人、中国人などさまざまである。その中でまず諜報、いわゆ…
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スパイは人間不信になるし人格も二重、三重に屈折していく
諜報員は、それぞれの国で情報教育を受けてという形を取るのだが、その場合、諜報員とは思われない人物こそもっとも効果的である。第1次世界大戦では、各国の諜報員はそれぞれに特徴があった。ドイツ、ロシアなど…
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苛烈な戦争を体験したドイツ、英国でスパイ技術が格段に進歩した
第1次世界大戦後のワシントン会議での日本全権団と日本政府の電報のやりとりは、アメリカの情報機関によって見事に盗まれていた。それは主にハーバート・O・ヤードレーが動かしていたブラック・チェンバーが率い…
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米国は潜水夫を使い、海に沈んだ日本の艦艇から暗号を盗んだ
中国には古来、戦争にまつわる言い伝えがあった。例えば「良い鉄は釘にはならない」というのは、常識のある人物は兵隊にはならないというのであった。傭兵を軽く見ることだと言えようか。「愚か者は将軍と間諜(ス…
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米国の情報解読機関は日本海軍の暗号解読に苦戦した
ワシントン会議での日本海軍は、主力艦の排水量を6割でまとまったことに不満であった。いつか痛い目にあわせてやろうという不満を心中に秘める幹部もいたのである。戦略上は戦艦、巡洋艦などの主力艦はアメリカ、…