保阪正康 日本史縦横無尽
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「ドイツはアメリカが参戦する意味を知らなかった」とチャーチルは記した
第1次世界大戦は1917年からまったく新しい時代への胎動期に転じていった。単にイギリス、フランスなどの連合国とドイツを軸とする同盟国の戦いという側面よりも、歴史が新しい方向に向かって進んでいくときの…
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日本の軍人は大戦の本質を正確に理解できなかった
第1次世界大戦で次第に軍事上の対立から政治、外交、あるいは情報といったさまざまな局面での対立が深まると、日本の軍人はその情勢を読めなくなった。彼らは日本にいて、ヨーロッパのこの戦争の情報を確かめて一…
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1917年にはどこの国民も戦争に厭き、各国でデモが起きた
第1次世界大戦が4年目を迎えた1917年には、戦闘の他にもさまざまな形の戦いの構図が出来上がった。基本的にはフランス、イギリスの連合国側とドイツの戦いが軸になっているのだが、その他の国々は戦争を継続…
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英仏連合軍がドイツと衝突 ソンムの消耗戦で126万人が死亡
ベルダンの戦いはフランス軍がドイツ軍の攻撃を持ちこたえて、死守する形になった。この作戦は徹底していて、フランス軍は兵力の8割を戦いにつぎ込んだというのであった。1916年2月に始まった戦闘では、年末…
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ドイツ軍は豊富な砲弾と手榴弾で塹壕のフランス軍を攻撃
西部戦線で、ドイツ軍はある時期から常に不利な戦いを強いられた。ドイツの陣営のオーストリアやオスマン帝国の戦力は次第に弱体化していき、フランス、イギリス、そしてロシアと戦う主体がドイツの軍事力であるこ…
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ドイツは「持久戦争」で難局を乗り切ろうとした
石原莞爾は、第1次世界大戦が4年半も続いたのは西洋人が意志が弱いからだと突き放している。決戦戦争で短期に決着をつけるべきなのに「西洋人」は意志が弱いから長引いたというのは、日本人の戦争観と異なってい…
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石原莞爾が分析した第1次世界大戦での仏・独の失敗
第1次世界大戦について、日本の軍人の中で、ドイツ軍の戦略論、あるいは戦争の歴史の中に踏み込んで論じた者はほとんどいない。しかし石原莞爾だけは自らの著(「戦争史大観」や「世界最終戦論」)の中で次のよう…
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ドイツ軍はベルギーを通過する時に市民6000人超を虐殺した
第1次世界大戦は1914年に始まったのだが、その最初の半年ほどがもっとも多くの戦死者を出した時期だった。ドイツ側にはフランスを破るための「シュリーフェン・プラン」という戦争計画があった。ベルギーとフ…
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ヨーロッパでは国家総力戦の実態が露骨になっていった
この第1次世界大戦では、人類史の上でいくつかの変化があった。例えば各国が参戦を決めていくプロセスは、際立った戦争目的があるわけではないのに、開戦が伝えられると国民は興奮と支持で街頭に出てきた。ベルリ…
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英仏軍とドイツ軍が塹壕で砲弾を打ち合う「塹壕戦」だった
中国の内情はこの時も、そして1930年代に入っても基本的な構図はそれほど変わりはない。一言で言うならば、中国はあまりにも体が大きいので、いきなり近代化への道筋にハンドルを切ろうとしても、そう簡単には…
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皇帝になろうとした袁世凱の前に「第二革命」は瓦解した
袁世凱が自ら皇帝になろうと決意したのはいつのことか、定かにはわからない。辛亥革命後は孫文らとの間で、共和制の堅持、大総統制枠組みの中で、自らの権力を固めることになった。しかし南方に足場を置く孫文らと…
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政友会総裁の原敬は対中国外交を強く批判した
21カ条要求を突きつけた日本政府について、国内ではどのような反応があったのだろうか。さらに中国国内の孫文を中心とする反袁世凱の勢力は、この要求にどのような反応を示したのか。そのことについて触れておく…
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米国は中国への圧力を強める日本に批判的になっていった
ヨーロッパで先進帝国主義国家と、少々遅れ気味のドイツなどの後進の帝国主義国家が争っている時に、アジアでは日本がその地位を着々と固めていたのであった。日本にとって、この欧州戦争はまさに暁光でもあったの…
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極めて独善的 21カ条要求の狙いは中国の植民地化だった
第1次世界大戦時の日本の軍事行動は、世界の目がヨーロッパ戦線に向いている時に、極めて巧妙に中国への内政に干渉した。 中国との協定でドイツが持つ青島の権益には一定の了解が出来上がったのだが、し…
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日本の権益確保への野心をはらんだ「対華21カ条要求」
日本と第1次世界大戦の関わりを説明しておこう。第1次世界大戦にさまざまな要因が重なり合っていることはすでに論じてきた。しかし日本はそういう関わりを持たずに参戦した唯一の国でもあった。そのことを整理し…
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英国が日本に第1次世界大戦への参戦を求めた理由
この戦争が特異な形で広がったという理由は、各国が相次いで自国エゴをもとに参戦を決定したその思惑にあった。あえてその理由を考えていくと、イギリス、フランスなどの先進帝国主義がすでに持っている権益を、ド…
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第1次大戦の原因はドイツの肥大化だった 時系列に整理する
第1次世界大戦が瞬く間にヨーロッパ全域に広がっていったのは、20世紀の国際社会が変革を迫られていたからといってもいいであろう。干し草の山が発火直前にあるとするなら、マッチ一本で焼き尽くすことができる…
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第1次世界大戦を招いたヨーロッパの列強体制
1914(大正3)年6月28日、ボスニアを訪問中のオーストリア帝国の皇太子夫妻が、セルビアの民族主義団体に所属する青年に暗殺された。この暗殺事件が発端となって4年余にわたり、欧州全土を巻き込む戦争に…
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20世紀前半の「戦争」の時代をどう受け止めればいいのか
山県有朋の議会は明治23(1890)年11月25日に召集されたのだが、その時の歳出予算は8300万を超えている。その内訳は徹底した軍備費で占めていた。施政方針演説でも、国家独立自衛の源は主権線として…
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山県有朋による主権線と利益線から生じた「生存圏の拡大」
ヒトラーの野望はむろん、第1次世界大戦で失った領土、権威、秩序を回復し、さらには8000万のドイツ国民の生存のための空間を拡大することにあった。そういう生存圏の拡大のために人種問題が意図的に用いられ…