全日本女子プロレス伝
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五男・俊国との思い出…ヘネシー3本をアイスペールに注いで回し飲み
──俊国の店「ラ・セーヌ」はこだわりの詰まった内装だった。 「俊ちゃんは『極悪女王』でも描かれていたけど、派手な開襟シャツを着ていて、兄弟の中でも一番おしゃれだった。そんな俊ちゃんだから、店の…
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高校に入学も一学期で退学し、叔父俊国の店「ラ・セーヌ」に就職
──幼少期、かほるが常に一緒にいたのは叔父で五男の俊国。遊園地などに連れて行ってくれた。 「俊ちゃんは、とにかく豪快な人だった。子供2人に『こづかいやるから遊んでこい。これを2人で分けろ』って…
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将来を有望視されていたオスカル一条は、練習中のケガが引き金で10代で急逝した
──マッハ文朱と同期で、かほるとよく遊んでくれたのがオスカル一条。オスカルはデビューから半年足らずでパンフレットの表紙を飾り、メインイベントに抜擢され、将来を有望視されていた。 「若手なのに、…
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マッハ文朱、ビューティー・ペアブームを見ていた幼少期「マキちゃんにはよく遊んでもらった」
──初めて憧れた選手は、1974年に入門したマッハ文朱。かほるの4歳年上だった。 「他の選手と違ったね。入団前に『スター誕生!』で山口百恵と争って負けたというだけあって、実際に会うとオーラがあ…
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余興から興行へ…全日本女子プロレス創業当初の頃
──全女の創業当初、かほるは5歳。興行は松永4兄弟と礼子が運営していた。 「まだ後楽園ホールみたいな大きな会場なんかで興行を打てなくて、公民館とかを細々と回ってたと思う。社員なんか雇えないから…
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女子プロレスはストリップ劇場の余興から始まった
──1968年に松永4兄弟(健司=次男、高司=三男、国松=四男、俊国=五男)が全女を創設。中には4人を名前にちゃん付けで呼ぶ選手もいた。国松は、レフェリー「ジミー加山」としてリングに立っていたので、…
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長与千種との「髪切りデスマッチ」でダンプ松本の“影武者”としてデビュー
ダンプ松本の自伝的ドラマ「極悪女王」(Netflix)で注目を浴びた女子プロレスをスポーツ興行にした立役者・松永4兄弟の姪で創業から解散までのすべてを知る、松永家最後の生き証人が「全女」を語る。 …