著者のコラム一覧
初芝清オールフロンティア監督・野球解説者

1967年2月26日生まれ。東京都豊島区出身。二松学舍大付高卒業後、社会人野球の東芝府中で都市対抗に3度出場。88年ドラフト4位でロッテ入団。95年に打点王、ベストナインを獲得するなど強打の三塁手として活躍。「ミスターマリーンズ」の愛称でロッテ一筋17年、2005年に引退。通算1732試合で打率.265、232本塁打、879打点。07~10年社会人のかずさマジックでコーチ。14~19年セガサミー監督を務め、日本選手権準優勝、都市対抗4強など。現在はオールフロンティア監督。野球解説者。

立大セレクションで驚愕、先輩を差し置き「一番風呂の主」は1年生の長嶋一茂さんだった

公開日: 更新日:

 埼玉・坂戸の中学時代は軟式野球部に入っていた。高校は漠然と東武東上線沿線の強豪・川越商(現・市川越)に進学したいと思っていた。

 家庭の事情で東京・池袋に戻ることになったのが中3の時。この時の担任の教師が二松学舎大付出身だった。私はこの学校を知らなかったが、「練習会(セレクション)があるから行ってみるか?」と勧められ、行ってみたら合格。秋の東京大会準優勝で翌春センバツ出場を確実にしていたこともあり、入学してもいいかなと思った。

 入学前、甲子園に行って全試合を観戦。決勝でPL学園に敗れたが、準優勝したのを見届けて入部した。

 千葉・柏にある寮に入れるのは10人と決まっていた。朝、東京・九段下の学校に通うため、寮から柏駅までの送迎ワゴン車の定員が10人だったからだ。 

 私は入学早々、入寮を許可された。内訳は1年生2人、2年生2人、3年生6人。当時は50畳の大部屋に10人で雑魚寝。人数が少ないため、1年生の仕事は特になく、食器洗いもジャンケンで決めるようなアットホームな雰囲気だった。3年生には現監督の市原勝人さんがいて、練習試合の1試合目は市原さん、2試合目は1年生の私が投げていた。投手同士、面倒を見てもらったが、私が発した言葉は「はい」「いいえ」「存じません」の3つだけ。そんな時代だった。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    「おまえになんか、値がつかないよ」編成本部長の捨て台詞でFA宣言を決意した

  2. 2

    【原田真二と秋元康】が10歳上の沢田研二に提供した『ノンポリシー』のこと

  3. 3

    カーリング女子フォルティウスのミラノ五輪表彰台は23歳リザーブ小林未奈の「夜活」次第

  4. 4

    3度目の日本記録更新 マラソン大迫傑は目的と手段が明確で“分かりやすい”から面白い

  5. 5

    国分太一“追放”騒動…日テレが一転して平謝りのウラを読む

  1. 6

    福山雅治&稲葉浩志の“新ラブソング”がクリスマス定番曲に殴り込み! 名曲「クリスマス・イブ」などに迫るか

  2. 7

    「えげつないことも平気で…」“悪の帝国”ドジャースの驚愕すべき強さの秘密

  3. 8

    松岡昌宏も日テレに"反撃"…すでに元TOKIO不在の『ザ!鉄腕!DASH!!』がそれでも番組を打ち切れなかった事情

  4. 9

    年末年始はウッチャンナンチャンのかつての人気番組が放送…“復活特番”はどんなタイミングで決まるの?

  5. 10

    査定担当から浴びせられた辛辣な低評価の数々…球団はオレを必要としているのかと疑念を抱くようになった