引退から45年 山口百恵とその時代
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(11)引退 -1980年-「ありがとう。幸福になります」と静かに語り、歌い終えると、マイクをステージに置いた
ホリプロ社長の堀威夫は、山口百恵から「引退したい」と伝えられると驚いたが、意志は固く、引き留めても無駄だと悟ると了承した。引退興行を成功させたほうが得策だと判断したのだろう。渡辺プロがキャンディーズ…
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(10)恋人宣言 -1979年- リサイタル中にファンにカミングアウト 芸能マスコミは騒然とした
山口百恵の1979年は、ハワイでのコマーシャルフィルムの撮影で始まった。撮るのが大林宣彦で、共演が三浦友和なのも例年と同じだ。この仕事は休暇と三浦とのデートも兼ねていた。 三浦はハワイで、結…
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(9)紅白で史上最年少のトリ -1978年- 物議を醸した「プレイバックPart2」の歌詞
1978年夏公開の「ふりむけば愛」は、百恵・友和映画初のオリジナル脚本、初の海外ロケ、そして、百恵の初ヌードが話題になった。 監督の大林宣彦は「見事にヌードで撮りましたよ。友和君も非常に協力…
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(8)プレイバック -1978年- キャンディーズ解散「普通の女の子に戻りたい」に百恵の反応は厳しかった
1978年1月、山口百恵は19歳になった。73年にデビューして80年に引退するので、すでにその短い芸能生活の半分が過ぎていた。音楽面ではこの年が頂点で、レコード大賞に最も近かった。だが、沢田研二とピ…
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(7)「秋桜」で新境地 -1977年- この曲で百恵の歌の世界はさらに広がった
1977年夏の百恵・友和映画は初の現代もの、「泥だらけの純情」だ。藤原審爾の同題の小説が原作で、吉永小百合・浜田光夫の主演で日活が映画にしたもののリメークだ。百恵は外交官令嬢、友和はヤクザの役で、身…
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(6)阿久悠との死闘の始まり-1976~77年- 百恵の前に次々と現れた“刺客”たち
「横須賀ストーリー」は66万枚という大ヒットとなったが、1976年の年間ランキングでは8位だった。1位は空前絶後の400万枚とも500万枚とも言われる「およげ!たいやきくん」で、これには誰も勝てない。…
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(5)宇崎竜童・阿木燿子登場 -1975~76年- 百恵と歌、そして時代がシンクロし始めた
1975年春、山口百恵は高校2年生になった。ゴールデンウイークには「潮騒」、夏には「初恋時代」、暮れには「絶唱」と立て続けに映画に主演した年だ。 75年最初のシングルは3月21日発売の「湖の…
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(4)百恵・友和映画の始まり-1974~75年-「『伊豆の踊子』には百恵のヌードシーンがある」と男性誌は煽った
山口百恵が主演した映画は、高2トリオとして出た「初恋時代」を除くと13作あり、そのうち12本が三浦友和との共演、10本が文芸リメークもので、6本が西河克己監督作品だった。【表参照】 この文芸…
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(3)ひと夏の経験 -1974年-「高校生にあんな曲を歌わせるとはけしからん」という抗議が殺到した
2枚目のシングル「青い果実」のクリーンヒットで、山口百恵のデビューは成功した。テレビドラマのレギュラーとしての出演も成功した。高校生になり、歌手と女優としての本格的な活動が始まっていく。評伝「山口百…
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(2)デビュー、そして「青い性」路線の始まり-1973年-「『こんな歌、歌うんですか』…口に出さないまでも、気持ちは完全に拒否していた」
山口百恵は「スター誕生!」からデビューする10人目の歌手である。しかし先にデビューした9人のうち、成功したのは森昌子と桜田淳子しかいない。デビューできても簡単にはスターにはなれない。 阿久悠…
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(1)百恵を発見した男たち-1972年- デビュー前の百恵を「スタ誕」生みの親や都倉俊一はどう見ていたのか
昭和歌謡曲を回顧する番組に必ず登場する「山口百恵」。芸能人として活動したのは8年弱でしかない。引退して45年も過ぎたいまも絶大な人気を持ち、当時を知らない20代・30代も、映像や録音で百恵を知って魅…
