坂本冬美「休業から死亡説まで」全真相を語る
-

(10)桑田佳祐のギターに歌唱指導もしてもらった「ブッダのように私は死んだ」
平成最後の紅白歌合戦となった2018年、“究極の大トリ”としてサザンオールスターズが登場。桑田佳祐のファンである冬美はリハーサルの日、人波をかき分けて握手を求めていた。それまでも、桑田とのスレ違いは…
-

(9)38歳の若さで白血病で亡くなった親友・本田美奈子.との哀しい別れ
年を重ねれば、悲しい別れがやってくる。避けて通れない人間の宿命だが、死別があまりに早ければ、傷心はより深くなる。2005年11月6日、同い年で親友の本田美奈子.が急性骨髄性白血病のため38歳の若さで…
-

(8)「本当に戻ってくるんだな?」事務所社長の言葉に「はい」と力強く頷いた
2002年、長期休業中の冬美の心を動かしたのは、偶然テレビで目にした二葉百合子の65周年記念公演だった。二葉の元へレッスンに通い、少し自信を取り戻した冬美は復帰を考え始めていた。杉良太郎、伍代夏子夫…
-

(6)「もうギブアップ…」突然襲いかかってきた自身の病魔と父の事故死
紅白のトリを務めた前後、病魔が冬美を襲っていた。1996年11月には盲腸の手術、97年3月には急性膵炎を患って入院。コンサートが順延されると、責任感の強い彼女は「スタッフやチケットを買ってくれたお客…
-

(5)「売れなかったら頭を丸める」“大御所”三木たかしが賭けに出た「夜桜お七」の世界観
突然の病死で師匠の猪俣公章を失った冬美は1994年、斬新な歌詞と新たな曲調に挑戦する。作詞・林あまり、作曲・三木たかし、編曲・若草恵の「夜桜お七」である。 「最初、デモテープで『ざっざっざっ』…
-

(4)88年「紅白」初出場で大号泣 恩師・猪俣公章との早過ぎる別れ
キャンペーンで見ず知らずの民家で歌ったかと思えば、誰もが憧れたテレビ番組にも登場した。近藤真彦が「愚か者」で大賞に輝いた1987年大晦日の「日本レコード大賞」(TBS系/視聴率29.4%)では、「あ…
-

(3)牛小屋近くの民家で「あばれ太鼓」を歌った昭和キャンペーン秘話
冬美はデビューから夏にかけて1日4軒ほど回るキャンペーンを全国で続け、その数は1年で100カ所を超えた。東芝EMIは演歌に強いレコード会社ではないため、新しい宣伝方法を模索していた。 「地元の…
-

(2)“芸能界のドン”も推したデビュー曲「あばれ太鼓」に落胆した理由
紀州梅干しの製造会社で働いていた冬美は、視聴者参加のNHK「勝ち抜き歌謡天国」の事前審査を通過し、和歌山大会に出場できる運びとなった。 「うれしかったですね。でも、本戦で認められないと意味がな…
-

(1)高校時代にローンを組んでカラオケセットを買った
猪俣公章、忌野清志郎、本田美奈子.、島倉千代子、二葉百合子、桑田佳祐……あらゆる人との出会いや別れを繰り返しながら、坂本冬美は感性を磨き、全てを歌にぶつけてきた。出場37回の紅白歌合戦、謎の休業、死…
