“昭和の怪物”江川卓と練習試合で対戦 「カーブを投げさせた」だけで私が新聞に載った
ところで、私はなぜ滝川に進学したのか。話はさらに中学3年時にさかのぼる。
兵庫県加西市では、ある程度、名の通った中学生だった。そんな私の自宅に、東洋大姫路の監督と部長が5度ほど訪れ、熱心に入学を勧められた。私は成績も良かったため、野球学校ではなく、勉強もできる学校に進学したかった。私は体が小さいこともあり、もしケガなどで野球を断念することになったら、勉強で大学に行きたかった。東洋大姫路は丁重にお断りし、自宅から少し離れているが、元巨人の淡口憲治さんが通った三田学園を志望した。当時の日下隆監督に「三田学園に行きたいんですけど」と売り込むと、こう言い返されたのだ。
「いや、オレはちょうど今年で終わっちゃうんだよ(後に育英監督)。滝川の吉本宗泰さん(監督)を紹介するよ」(つづく=革命捕手が見たプロ野球 第49回)


















