「仏の森保」も選手への理不尽な攻撃は絶対に許さない…自らは批判の矢面に立つ“究極の防波堤”
「本を作ってくださるのですね。ありがとうございます。ご自身の思ったとおりのことを書いてください」
森保監督との共著「『森保ノート』の真実。」を出版するにあたり、JFA(日本サッカー協会)を通じて企画を打診した際のことだ。森保一監督から返ってきたのは、信じられない言葉だった。
検閲も、内容の制限も一切なし。実際に初めてテーブルを挟んで向かい合い、私が想定して書いてきた「前書き」の原稿を読んだその場で、彼は「出しましょう」と即決したのだった。
通常、メディアから本を出されるとなれば、自己防衛本能が働くのが人間の性である。
ましてや世間から常に一挙手一投足を監視される日本代表監督ともなれば、「自分に都合の悪いことは書かれないか」「どうすれば自分を良く見せられるか」と牽制してくることもあるだろう。しかし、この男にはその「保身」がまるでない。
なぜ彼は、これほどまでに自分に対する評価に無頓着でいられるのか。過去の会見の記録を紐解くと、彼の異常なまでの「自己犠牲」の精神が見えてくる。
2022年カタールワールドカップの第2戦、コスタリカ戦に敗れると、世間はドイツ戦の勝利から手のひらを返して大バッシングを浴びせた。
そのとき、監督は自らへの批判についてこう言い切った。
「議論は自由ですし、自分にぶつけていただければな、と。自分の思いをぶつけてほしい。喜ぶのもいいですし、ストレスをぶつけるのも、すべてが嬉しいという風に思ってます」
さらに2024年7月、囲み取材の場でも「見方も千差万別で、負ければ批判だし、勝てば喜んでいただける。批判の声すべてが悪いことではない。(中略)心をさらけ出して、心を解放してストレス解消してもらえることは、我々にとってポジティブじゃないのかなと思います」と語っている。
トカゲの尻尾切りのように部下に責任を押し付け、自己保身に走る上司は少なくない。
「国民のストレスの捌け口」になることすら自分の仕事の一部と割り切り、笑顔でサンドバッグになるトップがどれだけいるだろうか。
しかし、そんな「仏の森保」が、絶対に許さない一線がある。
それが「部下(選手)に対する理不尽な攻撃」だ。


















