アントニオ猪木
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猪木自身がマイクを握り「恒例となりました108ビンタを始めましょう」と
神戸ウイングスタジアムで行われた猪木祭は、すべての試合が終わって「108つビンタ」が行われようとしていた。アントニオ猪木本人がマイクを握って言う。 「ボブ・サップの試合も裏で見てきました。曙が負けたようです。ご報告申し上げます...
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「猪木が笑えば世界が笑う。会場、テレビをご覧の皆さん、燃えてますかーっ」
「ジョシュ・バーネット対セーム・シュルト」が白熱の好勝負の末に終わると、場内が暗転となった。そして、大音響でサンバのリズムが流れる。リオのカーニバルを思わせるダンサーがフィールドに繰り出し、これでもかと腰をくねらせて踊る。 間...
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「現役国会議員プロレスラー・大仁田厚がイノキボンバイエに見参であります」福沢朗の実況が場内に響いた
オープニングセレモニーが始まる頃、猪木祭の現場担当者の篠泰樹はバックヤードへと向かった。目指すは大仁田厚の控室である。 これまで、何度か会見を開いては「猪木さんを助けたい」と発言してきた大仁田は、本当に神戸ウイングスタジアム...
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口火を切ったアントニオ猪木「元気ですかーっ。試合開始が近づいてまいりました」
2003年大晦日、午後8時の時報と同時に、日本テレビの画面には「エグゼクティブプロデューサー」のテロップの付いたアントニオ猪木が現れた。背景の様子から、ヘリコプターの機内にいるらしいことはわかる。 「元気ですかーっ。元気があれ...
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“闘魂プロモーション”の証言「猪木会長のプロモーションへの同行は最高の思い出」
大晦日まで残り1週間を切って「イノキボンバイエ」開催に向けたアントニオ猪木のプロモーション活動も、ラストスパートの様相を呈してきた。 12月25日に新幹線で神戸入りした猪木は、新神戸駅から宣伝カーに乗って市内を一巡した後、神...
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アントニオ猪木「藤田和之の相手は一番危険度が高いボクサー、レイ・マーサーです」
2003年12月24日、クリスマスイブだが、大晦日にイベントを開くとあれば、むしろその喧騒は煩わしいくらいである。 特に「イノキボンバイエ」の場合、開催1週間を切っても、ミルコ・クロコップの去就についての正式発表や、エメリヤ...
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スポーツ紙の「猪木祭にノゲイラ」をめぐり大石組長と押し問答に
2003年12月23日朝、「イノキボンバイエ」主催者である川又誠矢の携帯電話に良知組組長の良知政志から連絡が入った。「社長、すいません。急きょ、大石の叔父貴が岡山から東京に来られています。ホテルオークラに来てもらえませんか」と切羽詰...
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大仁田厚からの意外なアプローチ「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチをイノキボンバイエで!」
アントニオ猪木の謝罪から始まった12月22日の「イノキボンバイエ」記者会見は、「スペシャルキャスター」として元横綱・若乃花の花田勝(現・花田虎上)の起用も発表となった。本人のコメントが代読されている。 「小学校3年のころ、蔵前...
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アントニオ猪木「まあ、楽しみにしていてください。永田には凄いやつを用意してますから」
2003年12月21日、1時間遅延した記者会見が終わったその2時間後、マスコミ各社にリリースが一斉に送信された。「イノキボンバイエ」の記者会見を、翌22日もやるという緊急告知だった。場所は六本木のディスコ・マハラジャ。大会の主催者で...
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国民的人気者ノッポさんが語っていたストイックな素顔…「節制と挑戦」貫いた88年の生涯
「できるかな」(NHK教育テレビ)の「ノッポさん」として知られた俳優で作家の高見のっぽ氏(享年88)死去の知らせに悲しみが広がっている。 ノッポさんは、昨年9月10日に心不全のため都内の病院で他界していたが、「死後半年は公表し...
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「史上最大の異種格闘技戦」わかりやすくド派手にぶち上げるしかない
スポーツ報知(2003年12月11日付)は「世界5大格闘王が集結」という仰々しい見出しとともに「K-1Dynamite!!」のあおり記事を載せている。「世界5大格闘王」とは、バルセロナ五輪・柔道金メダリストのダビド・ハハレイシビリ(...
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アントニオ猪木さんは最期にサプライズで「ガリガリ君 ソーダ味」を…赤城乳業「とても光栄」
1日に死去した元プロレスラーのアントニオ猪木さん(享年79)が、最期まで闘魂を燃やす姿をファンに見せてくれた。 猪木さんの死後、6日に自身のYouTubeチャンネル「アントニオ猪木 最期の闘魂」で配信されたのが、「アントニオ...
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「#芸名変えろラサール石井」って言われても…いまや日本全体が気持ち悪い
いきなり自分の名前がTwitterのトレンドに上がってきていたので驚いた。 私は全然気づいていなかったのだが、津田大介さんのツイートを見ていたら、「このハッシュタグで投稿してる自称OB有志、毎日自動投稿してるだけのアカウント...
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プロデューサー康芳夫氏が語る 幻となった世紀の一戦「“人食い”アミンvsアントニオ猪木」
「アリもいなくなったし、猪木君まで天に召された。いよいよ僕一人になってしまったなあ」 感慨深くこう語るのは伝説の呼び屋でプロデューサーの康芳夫氏(85)である。康氏と10月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木の縁は深い。19...
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猪木氏“闘魂外交”再注目で際立つ「アベ外交」の無策…北朝鮮の独自ルートを元首相バッサリ
政治人生も「燃える闘魂」だったようだ。1日に亡くなった元プロレスラーのアントニオ猪木氏(享年79)が、参議院議員時代に残した外交成果に注目が集まっている。 SNSで称賛されているのが、1990年のイラクによるクウェート侵攻に...
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藤波辰爾がアントニオ猪木氏の死を悼む「プロレスのすべて、僕の人生そのもの」
昭和のプロレス黄金期を牽引したレジェンド、アントニオ猪木氏が1日、都内の自宅で心不全のため死去した(享年79)。16歳で日本プロレスに入門、猪木氏の付き人を務め、その後猪木氏が創設した新日本プロレスに旗揚げから参加し、猪木氏とともに...
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【追悼】「選挙運動で聖火リレーを!」行動力あるアイデアマンだった猪木さんは、理論的で哲学的な人でもあった
小、中学生時代にプロレス少年だった私は、熱烈な猪木信者だった。大学卒業後に当時の日本体育協会(現日本スポーツ協会)に入り、その後、JOC(日本オリンピック委員会)に移った私をアントニオ猪木さんと引き合わせてくれたのは、1956年メル...
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「アントニオ猪木さんこそ国葬を」の声が…“信者”からは「立ち直れない…」と悲痛な叫び
難病の「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」で闘病中だった元プロレスラーで、参院議員を2期務めたアントニオ猪木さん(享年79)の急逝に悲しみが広がっている。 《やっと解放されましまね。リングを降りても貴方は闘魂アントニ...
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アントニオ猪木氏死去 79歳 “燃える闘魂”史上初のレスラー出身の国会議員
元プロレスラーで参議院議員を2期務めたアントニオ猪木氏(79)が死去した。 故・力道山にスカウトされプロレスの道へ。日本プロレス入りし、1962年からリングネーム「アントニオ猪木」を名乗る。 71年に女優の倍賞美津子...
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猪木さん、元気ですかー!! 両国国技館での挑戦状、思い出すなあ
「元気ですかー!!」「1、2、3、ダーッ!!」──燃える闘魂アントニオ猪木さんの闘病、そしてリハビリのドキュメンタリーをテレビで拝見いたしました。 熱狂的な猪木信者の方々にはおこがましいのですが、猪木さんの復活を祈って今回は猪...
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石井館長は政界の実力者の力を借りて国税をかわそうとしたのではないか
2000年代、筆者はこんな噂を耳にしたことがある。 「石井館長は高級外車を何台も所有して、新高輪プリンスホテルの駐車場にズラリ。マンションもたくさん持っていて土地は国内海外に有数。資産は相当な額にのぼる」 そのことを2...
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「猪木のダイブ」「ノゲイラの死闘」…“二人のアントニオ”に対する苛烈な処置
8.8「UFO・LEGEND」の開催責任を問われ、上空3000メートルからダイビングをするはめとなったアントニオ猪木が国立競技場に舞い降りた直後、いわくつきの試合が行われた。3週間前、同じく「UFO・LEGEND」に出場し菊田早苗と...
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「Dynamite!」第5試合後に登場したアントニオ猪木 開口一番「バカヤロー」の真意
国立競技場に9万1107人(主催者発表)の大観衆を集めて行われた「Dynamite!」において、観戦に訪れた人の脳裏に焼き付いて離れないであろう2つの出来事がある。 第5試合“フランスの暴君”ジェロム・レ・バンナが“PRID...
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「Dynamite!」が開催された2002年8月28日は格闘技史に残る1日だ
2002年8月28日は格闘技史に残る一日である。国立競技場で「Dynamite!」が開催されたのだ。不安視された天候も朝から晴れ渡り、真夏の暑さとなった。 20年前のこの日のことは筆者も鮮明に記憶している。 京都から...
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プロレスラー船木誠勝さんが語るヒクソン・グレイシーとの死闘「腕を外そうとするうちに気が遠くなり…」
15歳でアントニオ猪木の新日本プロレスでデビュー後、前田日明がエースで大ブームを起こすUWFへ移籍し、藤原組を経て自ら旗揚げしたパンクラスとプロレスから格闘技路線へ進んだ船木誠勝さん。総合格闘技、バーリトゥードの大会がテレビで高視聴...
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「UFO・LEGEND」は猪木本人は稼働せず、名前を利用したPRが行われるようになった
8.8「UFO・LEGEND」と、8.28「Dynamite!」を、おそらく最も多く取材したのが「スポーツ報知」の記者で「昭和プロレス 禁断の闘い」(河出書房新社)などの著書を持つ福留崇広だろう。20年経った今、彼はこの時期のアント...
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一人一人に頭を下げお酌をすることも…アントニオ猪木に魅了され続けた男たち
8.8「UFO LEGEND」の開催まで3週間となった7月17日、滞在先のLAからようやくアントニオ猪木が帰国した。 成田空港で待ち構えていた記者からイベントの迷走ぶりを伝えられると「PRIDEを意識しすぎだ。もっと独自の色...
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UFO・LEGENDは「小川直也選手の希望で『すべてガチンコで行きたい』と…」
2002年5月29日、仙台市内のホテルで囲み取材を受けたアントニオ猪木は、真夏に3つの大きなイベントが開かれることと、そのいずれも自分が関わることに言明した。3つのうちのひとつが8月10、11日に両国国技館で行われる新日本プロレス「...
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2002年の格闘技界ではあらゆる出来事が そしてボブ・サップが衝撃の1RKOデビュー
新たな格闘技コンテンツを立ち上げることにあたって、日本テレビが大手芸能プロダクション「ケイダッシュ」社長の川村龍夫を頼ったことはすでに述べた。アントニオ猪木を、そのアイコンに据えたかったからだ。 猪木の名前を掲げて発足しなが...
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石井和義が「今でも不思議」と…日テレはなぜ2001年「大晦日格闘技」プランを蹴った
長年、日本のプロレス界に君臨し続けたアントニオ猪木だが、1989年に参院選に当選すると、本職のプロレスは大会場のスポット参戦に限定されるようになる。98年4月に正式にプロレスを引退すると「世界格闘技連盟」(UFO)を旗揚げ。99年1...