細川護熙
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首相談話の意義(4)細川護熙首相の突破力
■海外の大反響 1993年の総選挙で自民党は55年の結党以来初めて政権から離れた。非自民政権といわれた細川護熙政権はかつてない国民的人気を博した。 細川首相は8月10日の初記者会見で「侵略戦争」の表現を受け入れた。 ...
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シリーズ「伴食宰相」(13)祖父・近衛文麿を超えることができなかった、祖父譲りの細川護熙
細川護熙首相の清潔なイメージは、政治とカネにまつわるどのようなエピソードも拒絶する空気を生んでいた。実際に取り組むべきテーマは多かったのだが、やはり政治改革が重要であった。それはつまりは選挙制度の改革に行き着くのである。小選挙区比例...
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シリーズ「伴食宰相」(12)近衛文麿の孫である細川護熙総理への期待の末路
細川護熙と村山富市の2人の首相は、伴食宰相というわけにはいかない。なぜなら2人は、首相のポストに就いたということ自体が歴史的意味を持ったからだ。D群の中のこの2人について歴史的な意味を考察しておこう。 私は、細川護熙政権の誕...
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あの老舗が閉店…永田町“料亭政治”の末路は「お茶と菓子」
今年3月末に赤坂の老舗料亭「金龍」が閉店した。1928(昭和3)年のオープンで、YKKの3人(山崎拓元副総裁、小泉純一郎元首相、加藤紘一元幹事長)が会合を重ねたことでも知られる料亭政治の舞台。最盛期は複数の派閥が同じ日に違う部屋で会...
