「おまえになんか、値がつかないよ」編成本部長の捨て台詞でFA宣言を決意した
2001年のオフ、初めて国内FA権を取得した。それまで、球団との契約交渉の席で罵られたこと、00年、打率が3割を超えても本塁打数が少ないと評価されなかったことが引っかかっていた。球団の対応に疑念を抱き始めていたせいか、「残留」と即答できない自分がいた。
中日との下交渉は球宴明け、横浜遠征中の宿舎だったシェラトンホテルで幕を開けた。当時の編成本部長で、交渉担当だった児玉光雄さん(故人)は「おまえ、どうするんだ。FAするのか」と探りを入れてきた。
「FAも考えています」
そう答えると、児玉さんは俺にこう告げた。
「おまえになんか、値がつかないよ。FAなんて(他球団から)誘われなきゃあ、ただの紙切れだからな」
そんな捨て台詞を吐かれ、黙っていられなくなった。
「その言葉、覚えていてくださいね」
そう言い返し、席を立った。FA宣言へと大きく傾いた瞬間だった。もちろん、この時点で他球団からの誘いがあったわけじゃなく、アテもなかった。それでも「移籍」という導火線に火が付いたのを覚えている。


















