語り部の経営者たち
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オザキフラワーパーク 尾崎明弘社長(2)小学生から家業を手伝い園芸の知識を習得
オザキフラワーパークの創業は1961年。都市農業が盛んな練馬区で代々野菜農家を営んでいたが、尾崎の父がシクラメンや君子蘭など花の生産に切り替えたのが始まりだ。 「自宅も敷地内にあって、植物と一…
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オザキフラワーパーク 尾崎明弘社長(1)買える植物園の異名を持つ巨大園芸店
オザキフラワーパークは、売り場面積1200坪を誇る首都圏最大級の園芸専門店だ。 身近な花苗から貴重な珍奇植物まで、年間約10万品種という国内屈指の品揃えを誇る。 ガーデニング愛好者の…
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プレミアグループ 柴田洋一社長(4)全国の中古車ディーラーと整備工場を結ぶ
自動車のファイナンスとワランティ(故障保証)を主力事業としているプレミアグループは、東証プライム市場(旧東証1部)に上場している成長企業だ。 社長の柴田洋一は2018年、プレミアグループの新…
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プレミアグループ 柴田洋一社長(3)大株主が次々に変わる変転流転を経験
自動車のファイナンスとワランティ(故障保証)事業を基盤にしているプレミアグループ。東証プライム市場(旧東証1部)に上場している成長企業だ。 社長の柴田洋一は、鉄鋼専門商社、信販会社などを渡り…
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プレミアグループ 柴田洋一社長(2)転職のたびに新しいスキルを身につけた
東証プライム(旧東証1部)に上場しているプレミアグループは、自動車のファイナンスとワランティ(故障保証)事業を基盤に急成長を続けている会社だ。 社長の柴田洋一は、経営の基礎をサラリーマン時代…
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プレミアグループ 柴田洋一社長(1)父が経営する会社が倒産→高校の時、一家で夜逃げ
自動車のファイナンスとワランティ(故障保証)事業を基盤に急成長を続ける東証プライム(旧東証1部)上場のプレミアグループ。最前線で指揮を執っているのが社長の柴田洋一だ。経営危機に陥っても逆境を乗り切っ…
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(7)スタートアップを上場させるエンジェル投資家を育てたい
結局辞退したものの、受けた企業すべてから内定が出たことは自信になった。将来、もしビジネスが失敗しても、なんとかなりそうな気がした。だが、もうひとつの障壁が立ちはだかった。大阪で音楽スタジオを経営する…
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(6)検索エンジン登録代行で価格破壊を実現
「日本で一番安い検索エンジン登録代行サービス」が山本氏が考えたキャッチコピーだった。世界中どこにいてもビジネスができるのがインターネットの強み。ロサンゼルスにいながら、日本向けのサービスが展開できるの…
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(5)ロス留学時にネットビジネスの足がかりを築く
3年生の終わりに大学に休学届を出し、ロサンゼルスに向かった。語学留学と周囲には話していたものの、好きになった3歳上の台湾女性を追いかけたというのが本当のところだった。「当時は英語にも米国にもほとんど…
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(4)ネットで知り合った台湾人彼女に3股発覚!
中央大3年生になって、将来をいろいろ考えるようになっていた。 「僕が入部している拳法部の就職先といえば、消防士か警察官。それはちょっと自分には向いてないなと、不安を感じ始めていた。やはり、イン…
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(3)大阪桐蔭高では「アホの山本」と呼ばれて…
大阪桐蔭高校3年の時、インターネットで毎月20万円を稼ぎ、級友から「犯罪者」と呼ばれていた山本氏。つけられたアダ名がもうひとつある。「アホの山本」だ。 高2の時、担任の教師が「大学入試センタ…
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(2)大阪桐蔭高校時代からネットビジネスで月収20万円
大阪府寝屋川市で生まれ育った山本氏。小学校5年の時、なけなしのカネを奪われる事件が起こった。ラジコンの図鑑を買って本屋を出ると、中3くらいのヤンキー2人が「ちょっと財布を見せてぇや」と近づいてきた。…
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(1)ユニコーン企業創出を目指しエンジェル投資家を育成
「メールより効率的」と36万社以上の企業が導入するビジネスチャットツールを開発したチャットワーク(東証グロース上場)。創業者の山本敏行氏は現在、設立まもない企業に出資するエンゼル投資家と起業家を結ぶコ…
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ベルリング 飯野塁社長(4)国産初のエクモカーを開発 最大の敵は“揺れ”だった
「広い、揺れない、使いやすい」を追求した画期的な救急車を開発。その製造を進めている最中、ライバルメーカーの関係者から飯野塁に電話があった。それは「エクモカーを造れないか」というものだった。 「千…
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ベルリング 飯野塁社長(3)「広い、揺れない、使いやすい」究極の救急車
ベルリング社が手がけている消防車の製造・販売は、もともと数社が独占する閉じられた市場だった。 大学時代に起業し、まず消防車の屋根に取り付けるハイルーフで消防車部品事業に新規参入し、現在は消防…
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ベルリング 飯野塁社長(2)消防車を造るためにまずパーツを造った
長らく寡占市場だった消防車業界に、ハイルーフというパーツで新規参入しようと決めた飯野塁。 しかし、モノづくりの経験はゼロ。造ってくれそうな工場に手あたり次第に電話した。 銀行にも日参…
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ベルリング 飯野塁社長(1)消防車・救急車業界にひとりで飛び込んだ風雲児
消防車と救急車。どちらも日常的に目にしながら、どんな会社が造っているのか知る人は少ないのではないか。 消防車は大手1社と中小数社、救急車は大手2社がほぼ独占している。そんな閉じられた市場に、…
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プレコフーズ 髙波幸夫社長(4)コロナ禍で月次決算赤字に…社内一丸で新規営業を開始
髙波氏が社長に就任した1994年から25年間で売り上げを125倍に伸ばし、200億円に届くところまできていたプレコフーズ。ところが、新型コロナの影響は例外ではなかった。初の緊急事態宣言が発令された2…
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プレコフーズ 髙波幸夫社長(3)他社との差別化を求めて「高品質・安全」路線を決断
社長に就任した髙波氏が行ったのはコーポレートアイデンティティーの導入だけではない。小売りをやめて卸売業に特化した。父の代では主力だった小売りだが、利用客減少の波を止めるのは難しいと判断したからだ。 …
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プレコフーズ 髙波幸夫社長(2)“カッコ悪い”家業を継いで鶏肉屋の2代目に
米国での進学を決めた髙波氏。しかし、英語もままならないのに働きながら勉強することはできない。そこで髙波氏は父親に一通の手紙を送った。 「帰国したら家業を継ぐから支援してほしい、という内容の手紙…
