さらなる地獄だったあの日々、痛みを訴えた脇の下のビー玉サイズのシコリをギュッと握りつぶされて…
1987年秋、ドミニカ共和国への留学を終え、ようやく日本へ帰国した。ルーキーイヤーのすべてを米国とドミニカで過ごし、二軍の試合に一度も出ないままプロ1年目のシーズンが終わった。
帰国してまもなく、さらなる「地獄」が待っていた……。
忘れもしない、秋の浜松キャンプだ。「地獄」といえば、まず思いつくのがこのキャンプ。おかげで、今も浜松を訪ねると、当時を思い出して、体が勝手に震えるほどだ。
毎年、地方開催として浜松球場での試合があったが、宿舎は同じグランドホテル浜松。主力になってもトラウマが蘇ったものだった。
浜松での一日は朝5時半に始まる。宿舎で朝食を食べ、6時半にはグラウンドに向かう。早出練習は毎日で、一日も欠かさずセカンドに1000球の送球練習が課せられた。
そのうち右肩が上がらなくなり、加藤安雄(一軍バッテリー)コーチに「肩が上がりません……」と言うと、「そうか、あと1000球投げたら治るぞ」と返されて青ざめた記憶がある。