語り部の経営者たち
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ウィラーエクスプレス 平山幸司社長<5>全国の旅館に提案を
楽天では、営業を担当した。 ターゲットは全国の旅館。当時、旅行サイト「楽天トラベル」を利用していたのは、ほとんど都市部のホテルのみで、旅館業界は未踏の領域だったのだ。 多くの旅館が「…
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ウィラーエクスプレス 平山幸司社長<4>熱意が通じ楽天入社
近畿日本ツーリストから楽天に転職した先輩に、「楽天って、どういう会社ですか?」と聞いてみた。 「閉塞感がまったくなくて、めちゃくちゃエキサイティングな会社だよ」 我が意を得たりとばかり…
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ウィラーエクスプレス 平山幸司社長<3>オンラインの幕開け
近畿日本ツーリストに勤務して5年目の1998年、国内ツアーのパンフレット制作から、大阪発東京ディズニーランドツアーの商品作りへと担当が替わる。 これにより、仕入れ交渉をする相手が旅館からシテ…
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ウィラーエクスプレス 平山幸司社長<2>土台となった5年間
1994年、近畿日本ツーリストに入社、国内旅行の商品企画を担当する部署に配属される。 最初の5年間は、同社がプロデュースする国内ツアー「メイト」のパンフレット制作を担当した。1人の社員がパン…
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ウィラーエクスプレス 平山幸司社長<1>人気1位の高速バス
ピンクの車体がひと際目につく「ウィラーエクスプレス」は、低価格と独自のシートでバス業界に新風を巻き起こしてきた人気ナンバーワンの高速バスだ。 北は青森から南は福岡まで、毎日23路線、301便…
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米国松下電器 岩谷英昭元会長<4>叱られないと弱さ生まれる
米国松下電器(現米国パナソニック)の元会長、岩谷英昭。現在は、大学で教壇に立っている。 「若い人に自分の経験や、松下幸之助さんの考えを伝えたい気持ちがあり、母校の明治学院大と中国・大連の東北財…
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米国松下電器 岩谷英昭元会長<3>CEO自ら顔売ることが大切
かつて世界を席巻した日本企業は、世界から取り残されつつある。なぜ、こんなことになったのか。 「どこかで創業者の理念から脱線したのではないか」 こう語るのは米国松下電器(現米国パナソニック)元会…
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米国松下電器 岩谷英昭元会長<2>20代から一人で決断する
パナソニックの米国事業の中興の祖として知られる米国松下電器(現米国パナソニック)の元会長、岩谷英昭。 1968年、新卒で松下電器に入社した岩谷は、すぐにアメリカに赴任し、2年間の海外勤務を終…
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米国松下電器 岩谷英昭元会長<1>ユダヤ人夫婦に基本を学ぶ
米国松下電器(現米国パナソニック)の会長だった岩谷英昭は、パナソニックの米国事業の中興の祖として知られる人物である。 米国では「ドン・イワタニ」の愛称で知られる。米国人が一目置く存在である。…
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フュービック 黒川将大社長<4>アスリートの新しい人生の場
2010年2月に第1号店を開店した「Dr.ストレッチ」は、6年後には100店舗を達成。スピード出店の秘訣を黒川氏が語る。 「ストレッチってけっこう痛いんです。でも、即効性があるし、続けるほど効…
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フュービック 黒川将大社長<3>ストレッチの絶大なる効果
ブームに先駆け、店頭に人だかりができるほど人気を集めたスノーボードショップ。しかし、出店の翌年あたりから有名スポーツ店が追随し始めると、たちまち売れ行きが落ち込んでしまったという。 「すぐ手を…
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フュービック 黒川将大社長<2>貯めるはずがローン地獄に…
高校2年の時に起業を決意した黒川氏。ただ、何で起業するのかという具体的なアイデアはなかった。そこでまず、資金と営業力を身に付けようと考えたという。 「元来、人見知りで特技もない僕は人気者とは程…
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フュービック 黒川将大社長<1>高校生が起業を志した瞬間
トレーナーがマンツーマンでストレッチを施すことでインナーマッスルをほぐし、体のコリや不快感を改善する。「Dr.ストレッチ」は国内外に120店舗以上を展開するストレッチの専門店だ。ストレッチの効果に着…
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銀座セカンドライフ 片桐実央社長<8>シニア起業支援に意義
片桐が会社を立ち上げた10年前には、定年後に起業を考える人はまだ一握りだった。 「定年になって少したってから起業を考えて、すでにビジョンを固めてから相談に訪れる人が多かったのです」 …
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銀座セカンドライフ 片桐実央社長<7>転換点となったレンタルオフィス開設
片桐にとって、一番の転機はもちろん起業したことだが、もうひとつの転機は、起業の2年後にレンタルオフィス事業を始めたことだという。 「自分が起業する直前の2カ月間、自治体が運営するレンタルオフィ…
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銀座セカンドライフ 片桐実央社長<6>「若い」「女性」で苦労した起業当時
起業当初、外部の交流会に参加すると、「普段はどこに勤めているの?」と聞かれた。 「まさかこれ一本でやっていると思われなくて。OLか何かの片手間でやっていると見られていたのです」 事業…
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銀座セカンドライフ 片桐実央社長<5>交流会で築いた人脈
起業前から力を入れたのは、シニアが集まるような会合に顔を出すことだった。NPO主催の会合やイベントのほか、単なる飲み会や親睦会にも参加した。 シニアばかりの会に20代の女性が参加したら、みん…
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銀座セカンドライフ 片桐実央社長<4>強み生かしてたどりついた起業支援
なかなか事業内容を決められなかった片桐が、“シニアの起業支援”というキーワードにたどりついたのは、起業の3カ月前、SWOT分析(強み・弱み・機会・脅威の4つの軸から評価する手法)に取り組んだおかげだ…
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銀座セカンドライフ 片桐実央社長<3>起業に向かい一心不乱
シニアのセカンドライフの支援をする事業を起こしたい。 明確な目標ができると、片桐はそれに向かって突っ走っていく。 大和証券SMBCを転職先に選んだのは、会計をもっと実践的に学びたいと…
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銀座セカンドライフ 片桐実央社長<2>生きがいを失った祖母が認知症に…
片桐は、おばあちゃんっ子として育った。祖母は東京・亀戸で小料理屋を営んでいたが、共働きの両親を持つ片桐のために店を畳んで孫を育てる道を選んだ。 2003年、片桐は学習院大学法学部を卒業後、花…