五木寛之 流されゆく日々
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連載10067回 今週読んだ本の中から <8>
(昨日のつづき) 『コブのない駱駝』(岩波書店)は、〈きたやまおさむ「心」の軌跡〉という副題がそえられている。「序」に当る部分には〈北山修による、きたやまおさむの「心」の分析〉というサブタイトルもあ…
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連載10066回 今週読んだ本の中から <7>
(昨日のつづき) もう何十年も前の話である。 『平凡パンチ』という週刊誌が一世を風靡した時代があった。大橋さんの表紙が、その時代を活写している。いま眺めても恰好いい雑誌だったと、あらためて思う。…
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連載10065回 今週読んだ本の中から <6>
(前回のつづき) 先週、書き残した分の続きである。本来なら『先週読んだ本の中から』とするのが正確かもしれない。その辺を適当に、というか、自由気ままにやってきたからこそ40年以上もこのコラムが続いて…
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連載10064回 今週読んだ本の中から <5>
(昨日のつづき) 朴裕河氏の『引揚げ文学論序説』は、あくまで「序説」という形であるが、かなり主題に踏み込んだ本格的な著作である。 これまでも尾崎秀樹や川村湊など、引揚文学者への視線を向けた論者…
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連載10063回 今週読んだ本の中から <4>
(昨日のつづき) トスカーのことを書いていたら、長くなってしまった。今週、読んだ本の中から3冊をとりあげてみようと思っていたのだが、来週まで同じタイトルで続けることにしよう。 朴裕河著『引揚げ…
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連載10062回 今週読んだ本の中から <3>
(昨日のつづき) 「暗愁」という言葉は、奈良、平安の時代に中国から渡来したものだろう。 さまざまな文物が大陸から伝わってくる中に、多くの言葉があった。「暗愁」も、その中にまぎれこんでいた外国渡来…
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連載10061回 今週読んだ本の中から <2>
(昨日のつづき) 今はミソクソに言われるM・ゴーリキーだが、スターリンとゴーリキーを一緒にしたくはない。 初期の短篇や自伝的な小説、また晩年のフェイエトン『回想』などは、忘れることのできない作…
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連載10060回 今週読んだ本の中から <1>
締め切りが重なって、アップアップの状態である。 ふしぎなことに、こういう一大ピンチの時に限って、他人の書いた文章を読みたくなってくる。あと2時間しかないというギリギリの局面で、本棚から本を引っぱ…
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連載10059回 エロ・テロ・ナンセンスの時代 <5>
(昨日のつづき) 21世紀の戦争が、テロのかたちをとって行われることは、すでに常識だ。今世紀は、テロと国家の戦いが続くことだろう。だが国家が崩壊する前に、国家の補強が激化する。そして、その反動が無…
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連載10058回 エロ・テロ・ナンセンスの時代 4
(昨日のつづき) 戦前、流行したといわれるエロ・グロ・ナンセンスの実体については、いろんな資料がある。 しかし、エロ・グロ・ナンセンスだけでは戦前とはいえない。いや、エロやナンセンスは、それに…
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連載10057回 エロ・テロ・ナンセンスの時代 <3>
(昨日のつづき) きのうペンクラブでした短いスピーチの続き。 日本ペンクラブが発足したのは、1935年(昭10年)の秋である。私が生まれたのが1932年だから、3年後のことだ。いわば戦前の時代…
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連載10056回 エロ・テロ・ナンセンスの時代 <2>
(昨日のつづき) きょうは夕方から如水会館へ。 日本ペンクラブの催しで、短いスピーチを頼まれていたのだ。 私はダラダラと長い時間お喋りをするのが向いているタイプで、短い話は苦手である。15…
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連載10055回 エロ・テロ・ナンセンスの時代 <1>
カストロ死去のニュースが世界中を駆けめぐった。 20世紀がこれで完全に終ったということだろう。90歳。天寿をまっとうした革命家というのはめずらしい。 暗殺計画は、数百回におよぶといわれている…
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連載10054回 戦前 戦中の短い記憶 <4>
(昨日のつづき) 小学生、そして中学に入学した時期、どんな本を読んでいたのかを思い出してみる。 じつに雑多な読書だった。いや、読書というほどのものでもない。手当りしだいに活字をあさっていた、と…
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連載10053回 戦前 戦中の短い記憶 <3>
(前回のつづき) いわゆる昭和ヒトケタ派の連中が次々と退場して、なんとなく淋しくなった。後に続く世代にとってはウットウしい存在だったかもしれない。しかし、彼らがいなくなったことで、現代史が年表でし…
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連載10052回 戦前 戦中の短い記憶 <2>
(昨日のつづき) きょう毎日新聞のインターヴューを受けたときに、鈴木さんから意外な事を教えられた。 私が『とらわれない』(新潮新書)の中で触れていた戦時中の国民歌謡の件である。 〽歩け 歩け…
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連載10051回 戦前 戦中の短い記憶 <1>
私はタンゴが好きだった。いまでもタンゴの音色をきくと、血が騒ぐところがある。 タンゴという音楽が全世界に流行したのは、ごく短い年月だった。1920年代半ばから30年代の前半といっていいのではある…
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連載10050回 「新国家主義」の幕開き <5>
(昨日のつづき) 人間は「忘れる動物」である。 これだけは絶対に忘れまいと心に誓っていても、10年もたてばたちまち忘れてしまう。しかし、もし人間が決して忘れることをしなかったなら、たぶん生きて…
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連載10049回 「新国家主義」の幕開き <4>
(昨日のつづき) 民族主義と国家主義とはちがう。しかし、紙一重のところで両者は接しているところがある。 国民国家がグローバルな市場国家となり、その反動として体制国家が登場する。グローバリゼイシ…
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連載10048回 「新国家主義」の幕開き <3>
(昨日のつづき) あたりはしんと静まり返っている。ひげの男たちが肩を組み合ったり、頬を寄せあって舞台をみつめている姿が見える。 「いったいどういうショウをやるんですか」 と、スタッフの一人が…