人間出生図巻
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チャスラフスカ&コマネチ「名花と妖精と社会主義」(2)公安当局はチャスラフスカを反政府派の象徴と見なした
一九六八年秋、メキシコオリンピックからチェコに凱旋したチャスラフスカは大統領官邸を訪ね、四つの金メダルをドゥプチェク共産党第一書記らの政府首脳に贈った。しかし改革派の要人たちはすでにソ連の傀儡に等し…
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チャスラフスカ&コマネチ「名花と妖精と社会主義」(1)2人の美女は鉄のカーテンの向こう側で政治に翻弄され続けた
ともに東欧の小国に生まれ、オリンピック女子体操で幾多の金メダルを獲得し、国民的英雄となりながらも政府に抹殺されかけたアスリートがいる。ひとりは東京・メキシコ大会(一九六四年、六八年)で観客を魅了する…
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野村克也・沙知代「名将を支えた“最低の女房”」(4)「私の人生において、唯一、絶対的なもの。それはいつも沙知代がいる、ということだった」
野村沙知代についての書籍は、実弟の伊東信義による「姉野村沙知代」と、実子のケニー野村による「グッバイ・マミー」が出されている。この二冊には、沙知代の無責任きわまる育児放棄、奔放な男性関係、弱者に対す…
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野村克也・沙知代「名将を支えた“最低の女房”」(3)衆院選出馬、学歴詐称、脱税…沙知代は世間を騒がせ続けた
一九七七年に南海ホークスを去った野村克也は、沙知代の“なんとかなるわよ”という言葉を頼りに東京へ向かい、同年、金田正一監督率いるロッテオリオンズに移籍。翌七八年には根本陸夫監督率いる西武ライオンズに…
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野村克也・沙知代「名将を支えた“最低の女房”」(2)南海監督解任のウラにあった現場介入
のちに“沙知代”と改名することになる伊東芳枝は、一九三二年三月二十六日に生まれた。父は都営バスの運転手で、一家は東京都荒川区南千住に住んでいた。ただし芳枝の実弟・伊東信義の「姉野村沙知代」(以下同)…
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野村克也・沙知代「名将を支えた“最低の女房”」(1)「悪妻の見本のような女だった」
「悪妻に一般的な型などあるべきものではなく、否、男女関係のすべてに於て型はない。個性と個性の相対的な加減乗除があるだけだ」 坂口安吾は、「悪妻論」と題する一文でこのように述べ、さらに“夫婦間の…
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赤塚不二夫「“リッパなバカ”の教え」(3)バカになる自信がなかったら、ごく普通のリコウな人でいたほうがいい
赤塚「タモリが来たとき、当時の俺たちにとってスッゴく新鮮だったんだよ」「NHK教育テレビの『陶器の変遷』のパロディー、これが面白いんだよ。観たこともないわけだよ俺たちも、そんな芸はさ。それまでは、ケ…
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赤塚不二夫「“リッパなバカ”の教え」(2)作品を巡る「サンデーvsマガジン」の仁義なき戦い
大抜擢を受けて、赤塚不二夫の「おそ松くん」が「少年サンデー」に登場したのは一九六二年四月のことである。六つ子の兄弟という設定が斬新で編集部にも好評だったが、この時点で長期連載になるとは誰も思っていな…
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赤塚不二夫「“リッパなバカ”の教え」(1)満洲での悲しい記憶が少年をギャグ漫画家の道に誘った
「ただバカっつったって、ホントのバカじゃダメなんだからな。知性とパイオニア精神にあふれたバカになんなきゃいけないの」「リッパなバカになるのは大変なんだ。だから、バカになる自信がなかったら、ごく普通のリ…
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さくらももこ「国民的漫画家の個人的な考え方」(3)テレビアニメ大ヒットの背景にあった緻密な戦略
一九八六年に「ちびまる子ちゃん」の連載を開始したさくらももこは、八九年に掲載誌である「りぼん」の担当編集者と結婚。テレビアニメ化が成った九〇年、夫を社長とする「株式会社さくらプロダクション」を設立し…
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さくらももこ「国民的漫画家の個人的な生き方」(2)「サザエさん」と「ちびまる子ちゃん」の決定的違い
さくらももこに先んじて国民的漫画家と呼ばれた長谷川町子は、一九二〇年生まれである。「のらくろ」の田河水泡に弟子入りし、十五歳で早くも漫画家デビュー。終戦翌年の四六年から夕刊フクニチという地方紙で四コ…
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さくらももこ「国民的漫画家の個人的な生き方」(1)“現代の枕草子”生みの親のクールな視点
自他ともに認める“怠惰な性格”のさくらももこ(本名・非公表)は「“高校生になったら、漫画を描いて投稿しよう”と思っていた」(「ひとりずもう」さくらももこ、以下同)にもかかわらず、「何もせずにヘラヘラ…
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千葉真一「アメリカンドリームズ」(3)夢を追い求める血脈は真田広之に継承された
千葉真一の初監督作品「リメインズ 美しき勇者たち」(一九九〇年)は興行的に失敗し、千葉は二億円の借金を抱えた。もちろん映画製作に当たり外れはつきものだが、千葉が経済的な苦境に追い込まれたのはこの映画…
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千葉真一「アメリカンドリームズ」(2)アクション俳優から演技派へ。東映の社長に直談判
人生の転機はしばしばふいに訪れる。そして素直に転機を受け入れるときは、すでにその必要性を無意識に自覚していた場合が多い。 「キイハンター」(TBS系)が継続中の一九六九年、千葉真一は中島貞夫監…
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千葉真一「アメリカンドリームズ」(1)「キイハンター」では敵と味方双方のアクションを吹き替えで演じた
日本でプレーするプロ野球選手の多くがメジャーリーガーを夢見るように、多くの日本人俳優にとってアメリカ=ハリウッドへの進出は永遠の夢か、あるいは本能とでもいうべきものかもしれない。 千葉真一(…
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田中好子「その日までさようなら」(3)余命二カ月であることを告げた夫に謝りながら泣いた
田中好子が巨匠・今村昌平監督の抜擢で「黒い雨」の主演女優に選ばれたのは一九八九年のことである。 ──四五年八月六日午前八時十五分、広島に原爆が投下された。井伏鱒二の同名の原作小説では、爆心地周…
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田中好子「その日までさようなら」(2)解散後、弟の介護に専念していた好子の復帰を萩本欽一が後押し
キャンディーズの突然の解散・引退宣言は驚きをもって迎えられ、「普通の女の子に戻りたい」という伊藤蘭(ラン)の叫びは流行語にもなった。渡辺プロの社員は誰も事前に知らされておらずメンツは丸つぶれである。…
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田中好子「その日までさようなら」(1)キャンディーズ突然の引退宣言を事前に知らされていた者は一人もいなかった
ことさら世代間の分断が叫ばれる現代では想像しづらいことだが、一九七〇年代の日本には祖父母の代から孫の代までを一手に引き受けるアイドル三人組が存在した。それが七三年に結成されたキャンディーズである。 …
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内田裕也・樹木希林「ハードロック・カップル」(4)2人は晩年、月に一度は会うようになった
「八〇年代の日本映画に殺気を走らせた俳優が松田優作なら、不穏な空気を漂わせた俳優が内田裕也だった」(「なぜ80年代映画は私たちを熱狂させたのか」伊藤彰彦、以下同) 俳優としての内田裕也が独自の…
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内田裕也・樹木希林「ハードロック・カップル」(3)希林がトラブルメーカーの裕也と別れなかった理由
内田裕也の代名詞といえば周知の通り“ロックンロール”である。裕也が言うロックの意味は“生きざま”に近いものだが、裕也が悠木千帆(のちの樹木希林)を妻に選んだ以上、千帆もまた“ロックな女”なのである。…