チャスラフスカ&コマネチ「名花と妖精と社会主義」(4)チャスラフスカの息子マルティンが語ったこと

二〇一一年の世界体操選手権は、十月に東京で開かれることになっていた。しかし、この年は“3.11”に東日本大震災が発生しており、一時は開催が危ぶまれる状況だった。さらには福島第一原発の事故で、放射能漏れを危惧する外国人選手の不参加も予測された。「桜色の魂」(長田渚左)によれば、そ…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り2,367文字/全文2,508文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】