オリックスへのトレードは中日が年俸の半分を肩代わりしてくれて実現した
2002年7月、山田久志監督の下では野球ができないと決意し、編成担当だった井手峻さんにトレードを直訴した。
子供の頃からファンだった憧れの巨人、相性がいい神宮球場が本拠地のヤクルトに行きたかったけど、井手さんに「同一リーグはダメ」と一蹴された。その代わり、ロッテとオリックスが獲得に興味を示してくれた。
02年のオリックスは最下位に低迷。自分が負の流れを変えられたらと思った。関西への単身赴任なら、名古屋へも帰りやすい。若手の頃にウエスタン・リーグの遠征でよく訪れていた場所で土地勘もあった。
オリックス移籍が決まった後、井手さんがこんなことを教えてくれた。
「年俸が高いから、オリックスが『こっちは年俸全額は負担できない、そちら(中日)と折半ならトレードに応じる』って言うんだ。だから、こっち(中日)が半分持つことになった」
01年オフに結んだ契約は「3年4億5000万円プラス出来高払い」。年俸1億5000万円の2年分となれば3億円だ。ここまで不振が続いていただけに、全額は払えないというオリックスの言い分も理解できたが、スッタモンダの末、中日は半分の1億5000万円を肩代わりしてくれたという。俺のワガママを聞いてくれた井手さん、一部の年俸も負担してくれたドラゴンズには、本当に感謝しかない。


















