「愛と平和」像に、犯罪的なまでに矮小化された音楽家ジョン・レノン
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特別編「その後のビートルズ~ジョン・レノン」①
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ビートルズ解散後のジョンについて語るということは「愛と平和のジョン・レノン」について語ることである。
『平和を我等に』(69年)や『ハッピー・クリスマス(戦争は終った)』(71年)もあろうが、やはり『イマジン』(71年)の影響が決定的だった。
そして1980年、突然の射殺によって、ジョンはいよいよ伝説として取り扱われ、愛と平和を唱えた聖人君子な音楽家として神棚に奉られることとなった。
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言うまでもなく私は、死後のジョンに関する神棚奉りムードに違和感を抱いてきた。というか、少しでも意識的にビートルズやジョンの音楽を聴いた人なら、一見大きく出たような「愛と平和のジョン・レノン」が、実は、音楽家としての彼を犯罪的なまでに矮小化していることが分かるはずだ。
さて、ビートルズ解散後のジョンの作品で、個人的に好きなものを挙げれば、強く激しいメッセージソングではなく、とろけるようにメロディアスな曲が浮かんでくる。
まずは『マインド・ゲームス』(73年)、そして『ジェラス・ガイ』(71年)や『ウーマン』(80年)あたり。
「『イマジン』ばかりもてはやすなよ」と言いたくなるような「美メロ」を持った作品群だ。
つまりメロディー・メーカーとしてのジョンを推したいのだ。それもジョン自身の『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』(67年)や、解散後のポールによる技巧的な作品とは違う次元の、もっとシンプルで飾り気のない「素」なメロディーの作り手として。
だから「愛と平和のジョン・レノン」ではなく「愛と平和“も”ジョン・レノン」だ。
さらに「美メロな素メロ“も”ジョン・レノン」なのだ。
ある一面的な箱に押し込むには、ジョンとその作品の持つ世界は、多面的過ぎる、巨大過ぎるのだと私は言いたい。
逆にいえば、世界中でもてはやされる『イマジン』を、私はちょっとヌルく感じてしまう。
だから日本語で歌うときには、具体的で現実的な和訳を付けた方がよい。
その点、2013年8月6日の広島原爆忌にマツダスタジアムで行われた「ピースナイター」で、地元出身の吉川晃司が歌った日本語版は、とてもよかった。RCサクセション版(88年)の日本語歌詞に、このような独自のフレーズを加えたのだから。
「放射能はいらない もう被ばくもいらない」 (この項つづく)
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