震災から10年 いわき平競輪場70周年 オールスター競輪が火蓋を切る(8月10~15日)
真夏の祭典!初のナイター開催
いわき平競輪場にとって21年は2つの意味で大きな節目の1年。激甚な被害をもたらした東日本大震災から10年、競輪場としては開設されてから70周年のメモリアルイヤーに当たる。8月には競輪界のビッグレース、オールスター競輪GⅠが行われる。オールスターとしては初のナイター開催にチャレンジ。
ここまでを振り返ってみよう。
日本人にとっても忘れようにも忘れられない日になった2011年3月11日。東日本を中心に襲った巨大地震と津波による大きな被害はとくに太平洋岸に住む人々の日常を根こそぎ奪ってしまった。今もあの震災の爪跡はそこかしこに残され、各自治体の必死の復興への取り組みが続いている。
いわき平競輪場もその直撃を受けたが、震災当時は市民、ファンの支えとなった施設として知られている。
■1951年に産声
その歴史をひも解けば、51年、戦後復興のため旧平市の「平競輪場」として開設されたのが始まり。66年に太平洋側、浜通り地区の15自治体が大規模合併でいわき市になり、91年に「いわき平競輪場」に名称変更、06年から09年にかけて大きく変貌を遂げた。
1層目が駐車場、2層目が走路の二重構造、総ガラス張りスタンド(メイン、バック)がバンクを囲み、バンクの内側に入って観戦できる、国内唯一の近未来的でモダンな「空中バンク」に生まれ変わった。
そして未曾有の大災害が東日本を襲ったのはその翌々年の11年のことだ。
「がんばっぺ、いわき」震災では救援物資配送の中継地点に
3.11では震度6弱の強震が「空中バンク」を直撃した。翌日からの開催を控え、選手の前検が行われていた宿舎をとてつもなく激しい揺れが何度も襲い、前検を終え入浴中だった選手はタオル一枚で飛び出した。それまでの青空が消え、雪が降り出し、太平洋岸に大きな津波が押し寄せた。
幸いだったのは、競輪場の施設はスタンドのガラスにヒビが入る程度の被害で済んだこと。空中バンクは耐震にも強かった。そして駐車場には全国から送られてくる、段ボールに詰め込まれた水、毛布、カップ麺、レトルト食品などの救援物資が一堂に集められ、市内の避難所に配送するための中継地点として活用された。競輪場は市民の生活を支える重要拠点になった。被災してケガを負った人のために各地から医師が派遣された。治療に当たった医師の宿泊施設としても競輪場は利用された。
あまりの衝撃に日本中が暗い雰囲気に包まれる中、競輪の開催もストップした。全国各地で東日本大震災支援競輪が開催され、いわき平の再開は100日後の6月20日。復興すら始まっていない中で、スタンドには2000人近いファンの姿があった。「がんばっぺ、いわき」「がんばっぺ、東北」。復興を願い、競輪を愛する温かい声援がバンクに響き渡る。選手の熱い走りは公営競技の枠を飛び越え、ファンと市民の感動を呼んだ。
売上の一部は施設の整備事業に
被災地として大きなハンディを負いながら、いわき平競輪場は着実に社会にも貢献した。震災の11年度から19年度までの9年間で、約37億円の拠出を行った。競輪事業は車券の売上のうち75%はファンに払い戻され、開催に必要な諸経費を除いた収益金の一部を、市の一般会計に繰り出し、おもに市の施設の整備事業などに充てられる。
例えば、保育所の地震補強整備事業、浄化槽設置者への補助事業・維持補修事業、林道改良事業、工場などの支援、小中学校のトイレ改修、本庁舎などの耐震化、施設の大規模維持補修、消防車両の整備などだ。
そして競輪場そのものは耐震性の高い防災拠点として機能し、市民の大切な財産でもある。そんな空中バンクでメモリアルな大会を開催、オールスターでは初のナイターで行われる。
第64回オールスター競輪を開催するいわき市産業振興部公営競技事務所の本田功所長は「オールスター競輪として初めてナイター開催できることに感謝します。コロナ禍ですが、ファンのためにも感染症対策をしっかり講じ、2000人限定の有観客で開催します。いわき平競輪場は震災の時は全国から寄せられた支援物資の受け入れ拠点としての役割を果たしましたが、あれから10年、今年は競輪場開設から70周年の節目です。ぜひとも6日制ナイター競輪を成功させたい」と語った。
■2年前の豪雨被害では選手宿舎を開放! 市民の憩いの場に
2年前の19年10月12日と13日の両日、過去最強クラスの台風19号が日本列島を襲い、東北地方にも大きな被害をもたらした。県内全域、いわき市にも暴風、大雨、洪水などの各種警報が発令された。
9時間で450ミリ近い雨量を記録した地域もあり、7000人近い市民が避難。競輪場の近くを流れる夏井川が8メートル近く水かさが増すなど市内の河川が決壊、死者は12人を数え、土砂や越水による床上浸水など甚大な被害を受けた。
この影響で災害時の拠点になる支所、公民館も被災して対応不可能になり、基幹浄水場の平浄水場も浸水して2週間も断水する事態に見舞われる非常事態になった。
夏井川などの氾濫で浸水は競輪場の目の前にも及んだ。しかし、競輪場は多少の被害はあったものの、浸水、断水などの被害は免れることができた。そこで選手宿舎の浴室を10月中旬に市民に開放することを決め、避難所などで不安な毎日を過ごしている市民に憩いの場として活用してもらった。
汗と泥で不快な日々を過ごしていた市民の中に「何日かぶりでお湯に浸かることができた」「汚れを落としてさっぱりした」と感謝の言葉が寄せられるなど、豪雨被害でも競輪場は支援の中心的な役割を担った。
ファンに「ガハハ」の書き込みが受けている(佐藤慎太郎選手)
今年のオールスター競輪はホームバンクのいわき平で開催されます。いわき平はナイター照明が明るくて、バンクもとても走りやすいです。僕はナイターは割と成績がいいんですよ。夜型なので体も動きやすいです。
地元バンクは自分で意識しなくても自然と気持ちが入ります。今は本番に備えて沖縄で練習していますが、今回は地元開催だから気合を入れてやっています。地元で行われるGⅠは選手として何回も走れるわけではないし、S級S班という一番上のランクで開催されるのは走りがいもあります。
■五輪出場の後輩、新田祐大は脅威
オールスターの時は東京五輪が終わり、五輪代表の地元の後輩、新田祐大や脇本雄太が出場します。僕もナショナルチームの練習に参加させてもらいましたが、本当に追い込んだ苦しい練習をしていた。家のこととか全部犠牲にして苦しみながらやっていた。自国開催の五輪を走れるアスリートは世界の中でも本当に一握り。一生の中でこんな経験をできることはないので、本番では楽しむ気持ちで頑張ってほしいですね。そうすれば結果はおのずとついてくると思います。
新田は僕にとっては同じラインです。これまで何回も連携して強さはわかっていますが、あの練習を目の当たりにすると恐れすら感じる。凄く強い。でも、きっちり付いていって離れないようにしないといけない。危機感がありますよ。
若手もどんどん育っていて同じ北日本地区の選手で注目は青森の新山響平(107期)です。勝ちたいというよりも自分のスタイル、先行を貫きたいと考えている選手で最近はスピードもアップしている。行く行くは競輪界を引っ張ってくれる選手になってほしいですね。
GⅠを優勝すれば、暮れの静岡グランプリに出場できます。新田はメダルを取れば決定するだろうし、ダメでもオールスターも含めた3つのGⅠがあるからね。僕は人の心配をしている場合じゃないし、乗れるように頑張ります。
最近はどこの競輪場に行っても声援がすごいんですよ。SNS(ツイッター)をやっていて意味のない笑い声みたいな感じで「ガハハ」と書き込んだりしています。それが受けているみたいですね(笑い)。車券も買ってくれていると思うので還元したいですね。
■外部リンク■
いわき平競輪 オールスター競輪特設サイト