五木寛之 流されゆく日々
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連載10167回 また極寒の夏がきた <4>
(昨日のつづき) 「子供は風の子」 などと戦時中は言った。薄着がやたらと奨励された時代である。 冬になると子供たちは皆、シモヤケ、アカギレ、ヒビなどに悩まされたものだ。足の踵のヒビワレから血…
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連載10166回 また極寒の夏がきた <3>
(昨日のつづき) お騒がせ大統領、トランプ氏の周辺がまたざわついている。 ロシア側の要人と会談のおりに、国家秘密を漏らしたとか漏らさないとか。そりゃあトランプさんのことだ。口をすべらせたのかも…
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連載10165回 また極寒の夏がきた <2>
(昨日のつづき) フランス風の小洒落たベーカリーで、朝・昼・夕食兼用の食事をする。野菜スープにキッシュ、カフェオレという、いかにも都会ならではのランチ・セットだ。 最近、一日一食の日が続いてい…
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連載10164回 また極寒の夏がきた <1>
寒い。このところ5月も末というのに、妙に冷える日が続いている。 年をとると誰でも脂肪が落ちる。シャツを一枚ぬいだようなもので、その分だけ気温の変化がこたえるのだ。それも冷えることに弱い。 も…
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連載10163回 風薫る五月の街で <5>
(昨日のつづき) 早朝5時、「中央公論」の来月分の原稿を書き終えてベッドにはいる。 少しまとまった原稿を書いた後は、頭が過熱しているので、すぐには眠りにつけない。玄洋社関係の本を読んでいる内に…
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連載10162回 風薫る五月の街で <4>
(昨日のつづき) こんどの土曜日、福岡で大災害がおきる、という噂が流れている。 どうかそんな予測が当りませんように、と願いつつも、不安をおさえることができない。 一寸先は闇、とは昔から耳に…
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連載10161回 風薫る五月の街で <3>
(昨日のつづき) 最近、高齢者の運転事故がしばしば報道される。 実際には高齢者よりも青年、壮年層の事故のほうが圧倒的に多いだろう。しかし、高齢者の事故報道が目立つのは、社会全体の無意識、意識的…
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連載10160回 風薫る五月の街で <2>
(昨日のつづき) スターバックスでコーヒーを飲みながら、買った本をめくっていたら、隣りの席から若い女性の屈託のない明かるい声がきこえてきた。 「あしたミサイルが飛んでくるんだって?」 「なんで…
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連載10159回 風薫る五月の街で <1>
連休も終った。私どものような自由業者には、連休など関係ないだろうと思われがちだが、そうでもない。 新聞社はともかく、出版社もおおむね連休中はお休みである。したがって打合わせとか、編集業務もほとん…
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連載10158回 旅にいずれば街恋し
今年の春は妙に旅が多かった。 若い頃は月に4、5回は旅という生活だったのだが、最近はそれほどでもない。 とはいうものの、このところ旅が重なって、あわただしい日々が続いた。 滋賀県の長浜に…
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連載10157回 本当の琴が判らない<5>
(昨日のつづき) 歴史は法則によって動く、という。それは長い目で見ればたしかだろう。 しかし、歴史の現実は陰謀によって動く。陰謀などというと必ず笑う人がいる。そういう説を立てる論者は、「陰謀論…
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連載10156回 本当の事が判らない <4>
(昨日のつづき) もう半世紀も昔のことになる。 1968年の夏、私は騒乱のパリにいた。たまたまイタリアに滞在中だったのだが、パリが内戦状態だと聞いて矢も盾もたまらず急遽、現地に向かったのだ。い…
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連載10155回 本当の事が判らない <3>
(昨日のつづき) 20代の後半、私はマスコミの底辺を漂流していた。当時、業界紙・誌と呼ばれていた極小メディアの編集者兼取材記者として働いていたのである。『洋酒タイムズ』『交通ジャーナル』『運輸広報…
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連載10154回 本当の事が判らない <2>
(昨日のつづき) 25日が問題の日だそうだ。この原稿が印刷されてキオスクにでる頃には、米朝の関係が大変なことになりそうだという。 インド洋のあたりを散歩していたカール・ビンソンは、こんどはわが…
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連載10153回 本当の事が判らない <1>
原子力空母カール・ビンソンが急遽、北上中、みたいな報道で列島が緊張したのは、ついさき頃のことである。 ところが、実際には5600キロも離れたインド洋のあたりで、のんびり航海中だったとかなんとか、…
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連載10152回 仏説は歌のリズムで <5>
(昨日のつづき) 私たちは常識として、古典は文字で読むものだと思いこんでいる。 しかし、古来、歴史も物語も、暗記したプロによって声にだして朗唱されていた。 古事記ひとつとってみてもそうだ。…
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連載10151回 仏説は歌のリズムで <4>
(昨日のつづき) 先週、和歌山へ行ってきた。 和歌山はひさしぶりである。泊ったホテルの窓からお城がよく見え、まだ桜も残っていて気持ちのいい日だった。大きなホールでの講演だったが、2階席まで人が…
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連載10150回 仏説は歌のリズムで <3>
(昨日のつづき) 親鸞が80歳を過ぎてから、さかんに歌の作詞をしたことはつとに有名だ。 親鸞は仏説を歌のかたちで表現することを最終形態としたのである。彼が作った歌は和讃(わさん)と呼ばれた。七…
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連載10149回 仏説は歌のリズムで <2>
(昨日のつづき) ブッダの語った言葉を暗記するために、弟子たちがリズムのある歌にしておぼえた事は前に書いた。 偈というのがそれである。 インド人は暗記の天才であるという。文芸だけでなく、あ…
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連載10148回 仏説は歌のリズムで <1>
仏教は歌と音楽である、とは私が昔から主張してきたことだった。 あちこちの仏教関係の会でも、その話をすることがある。おおむね面白半分で聞かれているようだ。 「それはなかなかユニークな観点ですな」…