五木寛之 流されゆく日々
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連載10207回 デラシネの世紀とは <4>
(昨日のつづき) モーリス・バレスの活躍したのは、第1次世界大戦の頃だろう。国民の栄光をうたいあげ、当時は<青年たちのプリンス>と称された存在だったらしい。ナショナリズムを鼓吹し、時代の寵児として…
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連載10206回 デラシネの世紀とは <3>
(昨日のつづき) ナショナリズムというのは、地下のマグマに似ている。地表に噴出する現象がおさまっても、それは一時的なものだ。地下ふかくに脈動して絶えることがない。そして周期的に噴火する状況をうかが…
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連載10205回 デラシネの世紀とは <2>
(昨日のつづき) どこで見た映像だったか。 あっというまに過去の事になってしまった感のあるパリのテロ事件の後日談である。ムハンマドを戯画化したことで、ある雑誌社の編集部がテロの被害にあった。そ…
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連載10204回 デラシネの世紀とは <1>
これまで50年あまりの作家生活のなかで、ずいぶん雑多な小説を書いてきた。自分でも呆れるほどの統一感の無さである。しかし、私自身そのことを負い目には感じてはいない。「雑であること」と「同時代的であるこ…
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連載10203回 今日は昨日の風が吹く <5>
(昨日のつづき) 考えてみれば、この年までほとんどストックなしの人生を送ってきたような気がする。 「ストックなしの人生って、どんなものですか」 若い編集者のB君が、けげんそうにきく。 「要…
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連載10202回 今日は昨日の風が吹く <4>
(昨日のつづき) 今夕の日刊ゲンダイをめくっていたら、『流されゆく日々』のコラムと同じ面に宮内勝典さんの<著者インタビュー>が出ていた。『永遠の道は曲りくねる』という大長篇で、河出の『文芸』に連載…
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連載10201回 今日は昨日の風が吹く <3>
(昨日のつづき) サイモン・コンウェイの『スパイの忠義』(ALOYALSPY/熊谷千寿訳/ハヤカワ文庫)を読んでいたら、ロンドンという街についてこんな事が書いてあった。登場人物の会話の中にでてくる…
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連載10200回 今日は昨日の風が吹く <2>
(昨日のつづき) 今夜のテレビ報道番組は、どの局も都議会議員選挙のニュースで花盛りである。 キャスターやゲスト・コメンテイターの発言も、ほとんど横並びといった感じ。 「ファースト優勢とは予想…
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連載10199回 今日は昨日の風が吹く <1>
日曜日は、私にとって<地獄の日曜日>である。連載の〆切りが3本重なって、眠る時間がない一日だ。 おまけに今回は都議会議員の選挙とあって、どうしてもテレビを視てしまう。 現在、都民ファーストが…
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連載10198回 インフレかデフレか <5>
(昨日のつづき) 「インフレになる」ことを「景気が良くなる」と同一視するのはどうか。 インフレで活気づくのは商売である。小さな店から大企業まで、インフレは好景気の代名詞だ。 きのう10円で売…
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連載10197回 インフレかデフレか <4>
(昨日のつづき) 私は経済学どころか、経済そのものについても全くの無智の輩である。 しかし経済の理論は知らなくても、日々、金銭とモノとを消費しながら生きている。その立場から自分の実感を語ってい…
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連載10196回 インフレかデフレか <3>
(昨日のつづき) 私がタクシーというものに戦後はじめて乗ったのは、1950年代か60年代のはじめ頃だった。ゲルピンの身だったが、友人が急病になって病院へ運んだのである。 タクシー代は、大事にし…
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連載10195回 インフレかデフレか <2>
(昨日のつづき) 最近のタクシー事情の続きである。 かつてバブル時代の流行語のひとつに<乗車拒否>というのがあった。タクシーのほうで客を取捨選択する。気に入らない客や、近距離の客は乗せない。そ…
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連載10194回 インフレかデフレか <1>
このところ80年代を回顧する記事や番組などをよく目にするようになった。 たしかに1980年代というのは、エネルギーもあり、バラエティーに富んだ面白い時代だったと思う。 80年代後半のバブル経…
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連載10193回 健康論の移り変り <5>
(昨日のつづき) ギックリ腰のほうは少し楽になったが、あいかわらず左脚の痛みが激しい。 歩くときに左脚をかばうので、そのせいで左側の腰の筋肉が炎症をおこしてしまったのだ。 ベッドに寝そべっ…
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連載10192回 健康論の移り変り <4>
(昨日のつづき) 魔女の一撃から3日目。 窓ガラスが異常に大きな音を立てて鳴っている。カーテンを締め切ったままなので外の様子はわからないが、どうやら激しい雨風にあおられているようだ。 この…
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連載10191回 健康論の移り変り <3>
(昨日のつづき) したり顔で健康論などを書いているうちに、ギックリ腰が再発して、ほとんど歩けなくなってしまった。 左脚の痛みをかばって、不自然な歩き方をしていたせいだろう。 以前から年に2…
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連載10190回 健康論の移り変り <2>
(昨日のつづき) 戦後、しばらくのあいだは健康論はジャーナリズムのテーマではなかった。とりあえず食って生きることが、最大の課題だったからである。 バクダンと称するアルコール飲料を飲み、ヒロポン…
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連載10189回 健康論の移り変り <1>
健康論にも流行がある。そもそも健康論がジャーナリズムで大きな位置を占めるようになったのは、高齢化社会の影響だろう。 100歳以上の長寿者が5万人をこえたのは、もうかなり前のことだ。 「人生五○…
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連載10188回 今は昔のものがたり <5>
(昨日のつづき) 灘さんから作詞を頼まれたときに、思ったのは、こういうことだった。当時のことを書いた『流されゆく日々』(1978年)の文章の続きである。 <(承前)小生の見るところ、小島さんの…