五木寛之 流されゆく日々
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連載11084回 寛容と否定の狭間に <1>
2月28日の産経新聞オピニオン欄に、森本あんり氏の文章が掲載されているのを興味ぶかく読んだ。 森本氏はアメリカの反知性主義についての論考や、近著『不寛容論――アメリカが生んだ「共存」の哲学』(新…
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連載11083回 最近気になること <4>
(昨日のつづき) きょう或る文学賞の選考会に出席した。これまで何十年も某料亭で行われていた選考会だが、今回はホテルでの開催である。 広々とした部屋にアクリル板で仕切った各選考委員の席がある。目…
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連載11082回 最近気になること <3>
(昨日のつづき) バイデン米大統領の先日のスピーチで、なんとなく気になるところがあった。 米国におけるコロナ死者の数が、ついに50万人を超えた、という報告である。第2次世界大戦の米国側の死者は…
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連載11081回 最近気になること <2>
(前回のつづき) 今朝の新聞に気になる記事がのっていた。(日経朝刊) <米軍ワクチン伸びなやみ>という見出しで、アメリカ兵士の3分の1がワクチンの接種を拒否しているという話である。 この記事…
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連載11080回 最近気になること <1>
私たちが何か意見をのべる際には、科学的、客観的な裏づけが必要だ。私はもともと感覚で物を言うタイプの人間なので、いつもそのことを自省しながら書いたり喋ったりしている。 科学的、客観的な裏づけといえ…
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連載11079回 40年ほど前の今ごろ <5>
(昨日のつづき) 京都へ移住したあと、龍谷大学の聴講生となって講義を受けるようになったのも、この頃である。 千葉乗隆先生の<国史学特殊講義>という授業で、<市廛の宗教>というテーマだった。<市…
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連載11078回 40年ほど前の今ごろ <4>
(昨日のつづき) いまから40年ほど前、自分は何をしていたのだろうかと振り返ってみる。昭和55年から57年にかけての時代だ。ちょうど私が40代から50歳に踏み込む時期だった。 昭和55年(19…
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連載11077回 40年ほど前の今ごろ <3>
(昨日のつづき) そのころ私はラジオの深夜番組をやっていた。『五木寛之の夜』という番組で、最初から最後まで一度も構成台本ナシのぶっつけ本番という、変った番組だった。 ある夜、「風」というテーマ…
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連載11076回 40年ほど前の今ごろ <2>
(昨日のつづき) 話はボルヘスからジャズに転調する。40年前の『流されゆく日々』の一部である。 <(前略)先日、石黒ケイさんのレコーディングにアート・ペッパーが特別参加したらしいんですが、かつて…
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連載11075回 40年ほど前の今ごろ <1>
いまから40年ほど前の今頃、日刊ゲンダイのこのコラムに自分はいったい何を書いていたのか。 ふと、そんな興味がわいて、昔の記録を引っくり返してみた。 80年2月18日の『流されゆく日々』には、…
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連載11074回 見えない明日に向けて <4>
(前回のつづき) 昨年、コロナが流行しはじめると同時に、生活習慣上に一大変化がおきたことは何度も書いた。 半世紀以上の夜型生活が逆転して、朝に目覚め、夜は早く眠りにつく昼型に突如として変ってし…
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連載11073回 見えない明日に向けて <3>
(昨日のつづき) 毎日のように次から次へと、いろんな事件や問題がおこる。世にニュースの種はつきない。 しかし、それにいちいち反応して感想を書きつづることは、あまり気がすすまなくなってきた。きょ…
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連載11072回 見えない明日に向けて <2>
(昨日のつづき) 明日を予測することは、はたして可能なのだろうか。私は無理だと思う。専門家の意見も、実際にはほとんど当てにならない。 それはなぜか。 学問は科学である。そこに偶然という要素…
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連載11071回 見えない明日に向けて <1>
正直なところ、新型コロナの流行がこれほど長期間にわたって続くとは思っていなかった。せいぜい秋口か、年を越したあたりで鎮静化するだろうと漠然と予想していたのだ。 しかし、第2波、第3波とパンデミッ…
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連載11070回 「鬱」をどう考えるか <19>
(昨日のつづき) 新型コロナの流行は、たぶん現代史に残る大きな影響をもたらすのではないでしょうか。 ペストやコレラ、スペイン風邪などとちがって、どこかソフトな印象のあるコロナですが、そのおよぼ…
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連載11069回 「鬱」をどう考えるか <18>
(昨日のつづき) 「鬱」がついた言葉に、「鬱勃」という表現があります。 <何かをなさんとする意気が盛んに湧きおこるさま> と、辞書には解説してあります。<勃>は<勃起>の<勃>です。力強くそそ…
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連載11068回 「鬱」をどう考えるか <17>
(昨日のつづき) 折れずに屈する状態を「シナウ」という。字に書くと「撓う」です。しなやかに曲がることです。 のしかかってくる重さに突っ張るのではなく、曲がって、耐える。硬く、太い枝はどれほどた…
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連載11067回 「鬱」をどう考えるか <16>
(昨日のつづき) 「暗愁」を抱く心というのは、折れずにしなっている心だと思います。北陸の「雪吊り」の話にもどれば、強い枝、硬い枝は降り積む雪の重さに折れる。北海道のパウダースノーとはちがって、日本海…
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連載11066回 「鬱」をどう考えるか <15>
(前回のつづき) 以前、「ローリング・ストーンズ」が『スティール・ホイールズ』というステージを持って東京へやってきたことがありました。 そのとき当時の『ニューミュージック・マガジン』誌の依頼で…
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連載11065回 「鬱」をどう考えるか <14>
(昨日のつづき) ポルトガル語の「サウダーデ」には、いろんな訳語があります。しかし、どれも今ひとつバシッときません。アマリア・ロドリゲスのうたう『暗いはしけ』や『戒厳令の夜』のテーマを聴いていただ…