五木寛之 流されゆく日々
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連載10227回 「健康という病」について <1>
かつて「健康は命より大事」というジョークがあった。だが今や笑ってはすまされない時代になってきた感じがある。 週刊誌、新聞、月刊誌など、こぞって健康に関する特集の花盛りである。テレビ番組は言うまで…
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連載10226回 50年代の学生生活 <4>
(昨日のつづき) 1950年代の学生生活をふり返ってみて、懐しいというより不思議な気がしてならない。 その日の食べ物にも困るような暮らしをしながら、けっこう喫茶店とかバーに出かけていたのだ。 …
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連載10225回 50年代の学生生活 <3>
(昨日のつづき) その頃の大学生は、いまの学生よりもはるかに大人びていたような気がする。 まず大半の学生が煙草を吸っていた。授業中でも、ちょっとひと休みすると教授が煙草に火をつける。当時は大学…
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連載10224回 50年代の学生生活 <2>
(昨日のつづき) 結局、最初の1年間はほとんど授業に出ることはできなかった。自動的に留年して、1学年下の連中と一緒になった。私が大学の同級生というのは、そのクラスの仲間たちのことである。 当時…
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連載10223回 50年代の学生生活 <1>
私が大学にはいるために上京したのは、1952年(昭27)の春だった。 1950年にはじまった朝鮮戦争も、38度線をはさんで膠着状態を続けていた時期である。 九州から東京へ来るには、特急で24…
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連載102222回 一日一食は是か非か <5>
(昨日のつづき) きょうは一食どころか、夜の10時すぎまで食事をしなかった。目覚めるのが夕方になったために、食事の時間がとれなかったのだ。 こういう食生活を続けていて、健康にいいわけがない。し…
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連載10221回 一日一食は是か非か <4>
(昨日のつづき) 昨日は完全な一日一食だった。途中で何かを口にした記憶もない。 朝、というより午後に起床して、体重を計ってみたら、標準体重より1キロあまり減っていた。 1キロ体重が減ると、…
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連載10220回 一日一食は是か非か <3>
(昨日のつづき) 規則正しい生活。 ほとんどの健康本が、例外なくそれをすすめている。決まった時間の食事。決まった時間の就寝。そして早起き。 私の友人の一人に、絵に描いたような健康志向の作家…
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連載10219回 一日一食は是か非か <2>
(昨日のつづき) 食事のとり方については、永年いろんな説が錯綜している。 一般に多いのは、一日三食説だ。ことに朝食を重視する論者が多い。こういう人はほとんど早寝早起き説である。ある意味で道徳的…
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連載10218回 一日一食は是か非か <1>
最近、一日一食という人の話をよく聞く。 「ダレダレさんも、一日一食主義だそうですよ」 などと、有名人の名前なども、しばしば耳にするようになった。どうやら炭水化物制限法のあとは、一日一食問題が世…
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連載10217回 風邪は万病の元か <5>
(昨日のつづき) まだガラガラ声のまま、NHKのスタジオへ。FMラジオで藤圭子の特番をやるというので出演をOKしたのだが、アナウンサーの付きそいもなく、一人で2時間しゃべることになって大あわてであ…
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連載10216回 風邪は万病の元か <4>
(昨日のつづき) 鼻水が垂れはじめて今日で1週間目である。熱もさがったし、咳もおさまったのだが、いまひとつすっきりしない。やはり風邪のコントロールに失敗したらしい。 失敗といっても、対応を怠け…
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連載10215回 風邪は万病の元か <3>
(昨日のつづき) 先週からの風邪が、まだ抜けない。熱は下がったものの、痰が喉にからんでゴホン、ゴホンと咳が出る。 どうやら短期風邪パス作戦は失敗したかのようだ。1週間も続く風邪は、悪い風邪にき…
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連載10214回 風邪は万病の元か <2>
(昨日のつづき) あの親鸞でさえも、<ちょっと具合いが悪いと、このまま死ぬのではないかと不安だ>と言っている。 体調が悪くても、若いあいだはそれほど気にならないものだ。まだまだ先がある、と思い…
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連載10213回 風邪は万病の元か <1>
ひどい風邪を引いてしまった。喉風邪とでもいうのだろうか。声がガラガラになって、喉が痛む。咳がでる。念のために体温を計ってみたら38度5分以上ある。体がだるい。 数日前から喉の調子が変だった。それ…
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連載10212回 デラシネの世紀とは <9>
(昨日のつづき) 定住者と移動者を、かつて私は内臓と血液にたとえたことがある。この国もかつては流動する人びとが各地を漂流して、列島を活性化していた。「まれびと」がそうであり、遊芸の徒がそうであり、…
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連載10211回 デラシネの世紀とは<8>
(昨日のつづき) 私が思うところでは、現代のデラシネとは難民のことである。かつてジプシーと賤称された流浪の民だけがデラシネではない。世界はデラシネの坩堝である。U・S・Aに送られたアフリカ系アメリ…
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連載10210回 デラシネの世紀とは <7>
(昨日のつづき) 筑豊は近代日本のエネルギー源として北九州の一角に築かれた炭鉱地帯である。そこはかつて豊後百姓と呼ばれた農民たちの平和な田園地帯だった。明治以後、財閥や玄洋社などの開発によって巨大…
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連載10209回 デラシネの世紀とは <6>
(前週のつづき) 歴史をふり返ってみると、強制移住者、追放者、移民、引揚者、亡命者などの存在が無数に浮かびあがってくる。生活苦のために故国を捨てた人びとが新大陸をめざす。その地の先住民たちが追われ…
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連載10208回 デラシネの世紀とは <5>
(昨日のつづき) 私が『デラシネの旗』を別冊文芸春秋に発表したのは、1968年(昭43)の10月だった。単行本として刊行されたのは翌年の秋である。 その頃、私は熱にうかされたようにスペイン戦争…