保阪正康 日本史縦横無尽
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GHQは軍国日本とそれに騙された庶民という二元論を試みた
GHQは日本人に対して、2つの指導方針を持っていた。ひとつは庶民は善良で真面目、与えられた場で懸命に働くと褒めるのである。半面のもうひとつは、そういう庶民を欺いた指導者の責任を問うのである。つまり「…
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天皇はマッカーサーに「国民の望みに逆らう天皇はいないでしょう」と語った
匿名の日本海軍の将官は、本当は日本は戦争を止めることができた。しかしそのような人物は存在しなかった、と証言する。その上で「真相箱」のナレーションは、 「陸海軍は政治に関与してはならぬ、政治と軍…
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山本五十六は戦争に反対も海軍省は開戦の側に立っていた
東條英機元首相は、昭和19年7月にサイパンが陥落して退陣したが、その内幕は国民には知らされていなかった。そこで「東條政権の崩壊について真相を教えてください」という質問が意味を持ってくる。 答…
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GHQは関東軍の暴力的支配を説き「東條英機は国民の敵」と
この答えは、まずジョン・ガンサー(アメリカの著名なジャーナリスト)の発言を最初に説明する。それは「日本を支配していたのは軍部ではあるが、その中の関東軍が支配していたと言っていい」との意見である。その…
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伊藤博文の改革は朝鮮人に歓迎されず数多くの人命が犠牲に
「真相箱」では、伊藤博文の統監としての施策について、次のように書かれていた。 「伊藤公の提議した諸改革なるものは、一見頗る独創的なるものと思われる。しかしながらそれは、ある程度強権を以て実行せら…
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時に声色を真似て東條英機を演じた声優に脅迫状が殺到した
「真相はこうだ」は昭和21年2月10日までの10週間にわたって、週1回の放送であった。この放送は、あえて少年を聴取者代表に加えて分かりやすい質問をさせ、それに答えるという形をとっている。時には声優が東…
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GHQは戦争の真実を伝える連載記事とラジオ放送を開始した
太平洋戦争の終結から74年が過ぎた。戦争体験者、なかんずく戦場体験者が極端に少なくなっているが故に、戦場の恐怖や飢え、その残酷さが次第に伝わらなくなっている。 むろん戦争は語り継がれなければ…
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共産党は昭和天皇を筆頭に1571人の戦犯名簿を発表した
戦後のGHQによる民主化政策の初期は、市民的自由を認めることで旧体制を打破する点に主眼が置かれた。その結果どうなったか。共産党勢力は日本社会のあらゆる封建勢力を駆逐する主人公として扱われることになっ…
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巣鴨プリズンから勝手に帰宅する戦犯者もいた
もしこの戦争責任者裁判が、日本側の手で行われていたらどうなっていたであろうか。私の予想では、戦勝国の手前、相当派手に弾劾が続いたと思われるのである。しかし、アメリカなどの目の届かないところでは、かな…
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敗戦50年後に発見された戦争責任者裁判に関する緊急勅令案
下村定陸軍大臣は謝罪答弁の中で「陸軍の過去における欠点のために」と言った上で、「幾多戦没の英霊に対して深きご同情を賜わらんことを、この際切にお願い致します」と答えた。下村自身が残したこの答弁に関する…
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「なぜ軍国主義になったのか?」斎藤隆夫の質問に陸相は…
この勅令法案が日の目を見なかったのは、主に2つの理由によると思われる。第一の理由は天皇が渋ったこと。具体的には「昨日までの臣下の者を裁くのは忍びない」と応じなかったためだ。第二はマッカーサーをはじめ…
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吉田茂らの怒りがにじんだ緊急勅令案
日本側で、独自に戦争責任者を裁くという「戦争責任者裁判ニ関スル緊急勅令案」は、その前文で「民心を安定し国家秩序維持に必要なる国民道義を自主的に確立することを目的とする緊急勅令」(原文はカタカナだが、…
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天皇の「難局を乗り切って欲しい」に応じた幣原喜重郎
東久邇内閣に代わって登場したのが、幣原喜重郎内閣であった。天皇は幣原に、この難局を乗り切って欲しいと命じ、幣原は当初は固辞していたが、結局は受け入れることになった。10月9日のことである。 …
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わずか2カ月で倒れた皇族による東久邇内閣
太平洋戦争の敗戦時の首相・鈴木貫太郎の後任は東久邇宮稔彦王であった。近代日本の議会政治の上で皇族内閣が誕生したのは初めてのことであった。昭和天皇は敗戦という事態を混乱なしに乗り切るために前例を破って…
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多くの機関で行われた植民地根性丸出しの「感謝決議」
占領者に対して媚びへつらうことと正義のための内部告発とは本来全く別ものである。しかし、その境目は極めて曖昧だ。「媚態は正義を装い、正義は自己利益を隠す」のである。こうした投書の多くは、かつての暴虐な…
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一貫した情報収集 米国は3年前から東京裁判を調査していた
マッカーサー宛ての手紙を改めて確認しておくと、結果として日本は自らの力で民主主義体制をつくる力を持っていなかったというのが正解であろう。軍国主義下の世の中に不満を抱いたり、憤りを持つ人が大勢いたこと…
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戦後初の総選挙で日本はそれまでの慣習と伝統を覆した
断っておかなければならないのは、マッカーサーに宛てた手紙の中に極めて深刻な内容があったことである。朝鮮からの引き揚げ者の消息が分からないものが多く、そのことを調べていただけないかといった悲痛な文面も…
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マッカーサー「日本人の民主主義理解は12歳の子供と同じ」
マッカーサーに宛てた日本人の手紙は、合計で5万通に及んだという。それほど多くの人々が手紙を書き送ったのだ。 私はそれらの手紙を手にしながら複雑な気持ちであった。嘆願書や陳情の類い、あるいは建…
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「マッカーサー様、あなたが日本の天皇になってください」
昭和20(1945)年の夏の暑い日、戦争は終わった。3年8カ月続いたこの戦争は、つまりは大日本帝国の解体という結果となった。アメリカ、イギリス、中国の指導者名によって示されたポツダム宣言を受諾するこ…
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国民はテロとクーデターの持つ真の怖さを知らなかった
昭和史を俯瞰した時、昭和10年代は極めて異常である。その異常さは11年の2・26事件、12年の盧溝橋事件をきっかけとして太平洋戦争に至るその道筋にある。この2つの難局をもっと理性的、思索的な軍事指導…
