太神楽 鏡味仙三郎 大いに語る
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「太神楽は外国人にも受ける伝統芸能。未来は明るい」
太神楽はもともと神事芸能だったのが、寄席ができてから、曲芸だけ高座で演じられるようになり、色物として定着した。 「寄席は落語や漫才など聴いて楽しむ芸が多いので、太神楽のような見て楽しむ芸が珍重…
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歌舞伎とは違う「太神楽は努力が報われる仕事なんです」
国が太神楽師を養成する制度があることは一般には知られていない。正式名称は「日本芸術文化振興会 国立劇場太神楽研修」。1995年秋から志望者を募集した。仙三郎は講師のひとりとして加わった。 「1…
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相棒仙之助の死 親身になってくれた紙切りの林家正楽さん
2001年4月、相棒の仙之助が食道がんで余命3カ月を宣告された。当人には隠した。5月には退院し、仙之助・仙三郎は高座に上がり続けた。 「連日の寄席出演は体力的に無理でしたけど、5、6回は仕事を…
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相棒の仙之助はセブ島にも毬を持って行く芸熱心な男でした
太神楽師にとって、共に曲芸を演じる相棒はかけがえのない存在である。仙三郎は相棒の仙之助を2001年に亡くしている。仙之助はどんな人柄だったのだろうか。 「あたしよりずっと繊細で、ひとつのことを…
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あたしと仙之助の名が呼ばれ小さん師匠と馬生師匠「はい」
太神楽でおなじみなのは、傘の上で毬や金輪、升、湯飲み茶碗などを回す曲芸だ。これにも難度の違いがあるとか。 「一番難しいのは金輪ですね。毬よりもすべるので油断してると倒れちゃう。回しながら、口上…
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「米軍基地キャンプのアメリカ人はマナーが良かった」
太神楽はしゃべり芸ではないので、落語よりも寄席以外の仕事が多い。 「10代、20代はキャバレー、デパートの屋上のアトラクション、それから米軍基地キャンプ回りですね。キャンプは軍人さんとその家族…
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「相棒と親方の家で寝泊まりを…稽古は雨の日以外は外で」
今年74歳になる仙三郎が芸歴65周年を迎えると言うと誰もが驚く。9歳からやっているのだ。1946年8月に岩手県盛岡市で生まれ、本名は大木盛夫。3歳の年に母親が亡くなったことで、祖父母が暮らす福島県会…
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「おかげさまで1年間に平均500高座出させてもらってます」
正月の寄席、仙三郎社中は20日まで曲芸をせず、おめでたい獅子舞だけ演じる。今年も10日まで鈴本演芸場と浅草演芸ホールで、11日から20日までは末広亭と池袋演芸場で演じた。 「浅草では寄席だけで…
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「海老一のご両人がテレビで太神楽を広めた功労者です」
傘の上で毬を回すなどの曲芸を太神楽という。その歴史は古く、平安時代には神事芸能として演じられていた。近年では寄席の色物として定着している。その伝統を守る太神楽曲芸協会会長の鏡味仙三郎が、昨年暮れに「…