「米軍基地キャンプのアメリカ人はマナーが良かった」
太神楽はしゃべり芸ではないので、落語よりも寄席以外の仕事が多い。
「10代、20代はキャバレー、デパートの屋上のアトラクション、それから米軍基地キャンプ回りですね。キャンプは軍人さんとその家族が客ですが、アメリカ人は家族でショーを見る習慣があるみたいで、マナーが良くて、いい間で拍手をしてくれる。バンドが入ってるのでドラムソロに合わせてやったりもしました。入間や横須賀の基地に行くと、楽しみは食事です。うまそうな肉がたっぷりあって、市販される前のコーラを初めて飲んだのも基地でした」
1966年に小仙の相棒の小金が亡くなって、寄席の看板は「丸一小仙社中」になった。丸一というのは屋号で、鏡味は姓である。小仙、盛之助改め仙三郎、仙之助、3人の社中だ。
「7年間、3人で舞台に立ち、獅子舞もいろんなところでやりました。そして、73年に一本立ちが許され、『仙之助・仙三郎』として寄席に出ることになりました。寄席の看板に名前が出た時はうれしかったですねえ。これで名前を覚えてもらえると。太神楽は曲芸をやる太夫と口上を述べる後見とに役割が分かれてますが、あたしと仙之助はともに芸ができるし、技量が同じくらいでしたから、役割を分けずに交互に、または一緒にやりました」