蔦屋重三郎外伝~戯家 本屋のべらぼう人生~
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(123)葛籠を背負う蔦重の声がきこえた
医者は呆れていた。 「これぞ九死に一生を得る、だ」 蔦重は神妙になるどころか、親の叱言を馬耳東風と聞き流す悪たれっ子のよう。 「私は悪運が強いんです」 医者は語調を強めた…
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(122)「手まくら」は宣長の異色作
戯家の本屋と和学の大人の話は弾む。傍らには色深く薫り高い伊勢茶と銘菓のへんば餅、素朴な味わいで二個目に手が伸びる。 「本づくりにはこだわりがあってな」、宣長は装幀を例に出す。表紙は布目模様で萌…
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(121)和学の大家は柔和な面持ち
蔦重が鈴屋と呼ばれる邸宅を往訪したのは寛政七年(一七九五)三月二十五日。 「旦はん、ちょっと厠へ」 「またかい」、蔦重は呆れる。だが国学の四大人にあげられる大学者との面会、一九の緊張ぶり…
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(120)東海道中を戯作にしますわ
蔦重は脚絆の紐をきつく締めると白い歯をみせた。 「では、いってきます」 「重さん、お薬は持った?」 腹掛けは、手拭、懐紙、草鞋は大丈夫? とせが矢継ぎ早に畳みかける。見送る奉公人…
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(119)東海道の話を聞かせてくれないか
ポタリ、湯気が湯屋の天井から月代に。「冷てえな」と熊公、隣の八っあんは湯舟に手足を伸ばす。寛政の改革で混浴禁止、広々とした男湯に会話がこだまする。 「写楽の役者絵、みたか?」 「あまりぞ…
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(118)面やつれの菊之丞に蔦重は小躍り
ウォーーン。深夜の日本橋界隈、森閑とした町に野良犬の遠吠え。一陣の春風が土埃を舞いあげた。 耕書堂の一室では蔦重と写楽が対峙している。両人とも精魂尽き果て、眼だけがギラつく。 行燈の…
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(117)一瞥しただけで紙片を破り捨て
ピリピリピリ。蔦重は無情にも一瞥しただけで、黙って紙片を破り捨てた。 恨めしそうな能楽師、つい先日までなら血相を変えるところだったが……。今ではその気概も失せたのか。 いや違う。腸は…
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(116)貴殿の素性は徹底的に隠します
蔦重、尋常ならざる絵を描く十郎兵衛を前に思わずペロリ、妖猫さながらに舌なめずりをした。 「貴殿は追い詰められた鼠も同然です」 「はあ?」、十郎兵衛は訝し気に見返す。「今だっ」、猫ならぬ蔦…
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(115)こんな絵を描く御仁がいたとは
義兄の次郎兵衛は、引手茶屋蔦屋と蔦屋耕書堂の創業二十年を寿ごうという。 「本当なら一昨年が周年記念だが、ご改革のおかげでやりそびれちまっただろ」 「残念だったね」、しかし、御上をおちょく…
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(114)春朗の成果はもう少し先
西村屋与八はそろそろ五十に手が届くはず。髪は抜け落ち坊主頭になっている。 「蔦重、まさか堀江町へ豊国詣でじゃあるまいな?」 図星だった。歌川豊国は新進気鋭の浮世絵師、明和六年生まれとい…
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(113)オレに役者絵を描かせる気か!
女郎屋の畳は目に汚れが詰まっている。膳に載る酒器や皿は縁が欠けていた。 蔦重はようやくいった。 「他でもない、次の仕事の相談をしたいのです」 歌麿は女の乳を弄っていた手を抜き、…
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(112)襦袢の大年増の腰に手を回し
トントントンッ、小気味のいい太鼓の音、芝居小屋の櫓の両脇には見せ場と人気役者を描いた派手な絵看板。呼び込みの木戸芸者が、掌に三遍「助六」と書きペロリと舐めた。所作は「助六」の名場面、人気役者の声色で…
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(111)政治の実権は二十歳の家斉に
耕書堂の一角、主人に女将、番頭がぼうっと突っ立っている。そこだけぽつねん、別の空間のよう。蔦重はようやく、ポカンと開いたままだった口を動かした。 「えっ、いま何ていった?」 「耕書堂を辞…
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(110)馬琴に滑稽路線は似合わない
とせが鼻歌まじりで本棚を雑巾がけしている。 女房は五つ年下だから数えの三十九。世間の相場じゃ姥桜と陰口される年齢だが、ずっと若くみえるし、若やいだ心を失っていない。重三郎は思う。 「当…
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(109)春朗にはいろんな分野の絵を
のそり、偉丈夫の若手絵師が入ってきたので、京伝の部屋が手狭に感じられた。 「あんた北尾重政親分よりデカいんじゃないかい?」 蔦重が両国広小路の見世物の象を前にしたように、勝川春朗をみあ…
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(108)母と生き別れて三十五年
大江戸は八百八町、絵草紙屋の数も八百八軒──とまではいかぬが、ここぞという所に必ず本屋はある。 「江戸中が艶っぽい女で埋め尽くされました」 どの店を覗いても耕書堂開板、喜多川歌麿画の、…
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(107)色香立ち昇る「浮気之相」
歌麿は錦絵の試し摺りを前に長考している。 だが、その沈黙は決して重々しいものではない。むしろ、せり上がってくる喜色を堪えるのが大変そうだ。摺師の吐き出した紫煙がゆっくりとたなびく。 「…
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(106)京伝に下された手鎖五十日の刑
耕書堂の主人と人気戯作者が召し取られちまった!! 寛政三年(一七九一)三月、物見高い江戸っ子たち、びっくりするやら心配するやらの大騒ぎとなった。 「御上をおちょくっただけで、ここまでや…
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(105)文武、文武というて夜も寝られず
本屋の女房、思わず欠伸を漏らし、急いで手を口へ。ふわ~っ、旦那も大欠伸。 「伝染ったじゃないか」 「だって暇なんだもん」 蔦屋耕書堂、讀賣の誹謗中傷で客足が遠のいた。 「重…
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(104)ホントは挿絵の罰金刑で意気消沈
蔦重は地本問屋に出された触書を京伝に示した。 「定信公はよっぽどダメって言葉がお好きのようです」 「罷りならぬ、が八か条」 「庶民にもご改革のとばっちりがきて、両国川開きはシケたも…