著者のコラム一覧
増田晶文作家

1960年、大阪生まれ。同志社大学法学部卒。「果てなき渇望」(文藝春秋ナンバー・スポーツノンフィクション新人賞)でデビュー。著書に「稀代の本屋 蔦屋重三郎」「絵師の魂 渓斎英泉」「楠木正成 河内熱風録」「ジョーの夢」「エデュケーション」など多数。

(114)春朗の成果はもう少し先

公開日: 更新日:

 西村屋与八はそろそろ五十に手が届くはず。髪は抜け落ち坊主頭になっている。

「蔦重、まさか堀江町へ豊国詣でじゃあるまいな?」

 図星だった。歌川豊国は新進気鋭の浮世絵師、明和六年生まれというから、蔦重と十九歳違い、息子も同然の若者。だが、このところ急激に腕をあげている。

 このままうたさんを説得できねば、そろそろ次の候補を絞り込まねばならない。

 与八はしたり顔になった。

「役者絵といえば大首絵の勝川春章、その春章亡き後を誰に託すべきか?」

 江戸の本屋なら誰もが気にかけていることだ。

「もっとも耕書堂にゃ歌麿がいるし、春章の弟子の春朗も懐いているらしい」

 文は挫け気味だが、京伝こと政演の絵という趣向だって捨てたもんじゃない。

「おっと政演の師匠の北尾重政だって健在だもんな」

「ウチはともかく与八さんは豊国さんに白羽の矢を?」

 与八は皮肉を効かせた。

「歌麿のおかげで鳥居清長の八頭身美人はおじゃん。豊国の役者絵で捲土重来だ」

 歌麿の美人大首絵が西村屋の抱える清長を霞ませたのは事実。蔦重は話を戻す。

「で、豊国攻略の首尾は上々だったんですか?」

 与八は豊国宅を振り返る。

「見事にフラれちまった。豊国には和泉屋市兵衛がガッチリ喰い込んでやがる」

 ツルリ、与八は頭を撫す。

「あいつに役者絵を描かせる魂胆なら諦めることだ」

 無駄足を懸念していたが、やっぱり、そうだったか。しかし、ここは和泉屋の先見と周到さに敬意を示さねば。

 蔦重は白々しくいった。

「堀江町には秋の長雨に備えて傘を買いにきたんです」

「へえ」、与八は改めて蔦重をまじまじとみつめた。

「あんた、顔色が悪いし、ひどく浮腫んでいる。一度、医者に診てもらうんだな」

 --この寛政五年、歌舞伎界には激震が走っていた。質素倹約令の余波で不入り続き、役者の賃金高騰も重なり本櫓三座の中村座、市村座、森田座が倒れてしまった。代わって霜月の顔見世興行から都座、桐座、河原崎座の控櫓三座が賑々しく幕開けする。

「災い転じて何とやら、控櫓の芝居は話題を集めます」

 蔦重の狙いはここだ。人気抜群の歌麿に新登場の三座の舞台を描かせたら、羽が生えたように売れるは必定。

「だが、しょせんは絵空事」

 うたさんを凌ぐ絵師……。

 堂々巡りの蔦重だった。

 --結局、耕書堂は年内の役者絵進出を断念したばかりか、寛政六年の新春興行も見送った。

「適任の絵師がみつからぬ」

 一番手と目した春朗に機会を与えてみたが、まだまだ師の春章の役者大首絵の型から抜け出しきれない。

「春朗さんは狩野派の絵まで学ぶ熱心さなんだが」

 でも、その成果はもう少し待たねばならぬようだ。

「それより他派に擦り寄った咎で、春朗さんは勝川一党を破門されてしまった」

 今後も春朗の面倒はみるけれど、敢えて彼を起用し勝川派と敵対するのも剣呑。

「大江戸役者絵大会を催し、大型新人を発掘しますか」

 そんな折、義兄の蔦屋次郎兵衛が顔をみせた。

「こっちへくるのは久々だ」

 迷っちゃなんねえから“江都本町筋下ル八丁目通油町”と唱えながら歩いた。

「兄さんらしいや」

 兄は知命の歳を過ぎ、吉原でいっぱしの存在に。それを支えるのが女房のおもん、息子もそろそろ二十歳、引手茶屋は安泰のようだ。

 (つづく)

【連載】蔦屋重三郎外伝~戯家 本屋のべらぼう人生~

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